ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2016年5月2日月曜日

松江での哲学カフェのお知らせ

 「晤語の哲学」ではないですが、5月7日(土)に松江市のスティックビルで哲学カフェが開催されるとの案内をいただきましたので、この場で紹介いたします。詳細については、チラシをご覧ください。ご興味をお持ちの方はどうぞお出かけ下さい。



2016年4月28日木曜日

5月の「晤語の哲学」のご案内

 次回の「晤語の哲学」のテーマが決定しましたので、改めて、開催日も含めてご案内します。
 なお、次回は、島根大学教育学部の丸橋静香准教授(教育哲学)がファシリテータを務めます。


日時:5月14日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「責任とは何か」
参加費:無料
ファシリテータ:丸橋静香(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp


テーマについて:
 私たちは「責任」というものを大事なものだと考えています。子育てや教育では「責任ある態度」や「責任感」がその目標に据えられます。会社や学校には「説明責任」や「企業の社会的責任」が求められます。一般市民には──たとえば環境問題と関連して──「将来世代に責任ある市民」であることが求められます。そして「無責任」は非難されます。
 それでは、その「責任」とは何を指しているのでしょうか。その意味は何なのでしょうか。何らかの事件・事故などネガティヴな出来事の原因になった人や会社などが、その責めを負うことでしょうか。あるいはそうした主体が引き起こすかもしれない(負の)出来事を予想し、その責めを引き受ける構えや覚悟のことでしょうか。つまり、原因となるかぎりで応答することが「責任」なのでしょうか。
 しかしながら、その一方で、私たちはある(負の)出来事に遭遇したとき、その原因に私が直接なっているわけではないけれど、そこに応答しなければ「気が済まない」「申し訳ない」といった感情を抱くことはないでしょうか。そしてそのとき「責任」という言葉が頭をよぎることはないでしょうか。
 このように、「責任」にはすこし考えただけでも多様な意味があります。対話を通じて、私たちが大事だと考えている(?)「責任」とはどういうものか考えていきたいと思います。

2016年4月14日木曜日

5月の開催日について

 4月の「晤語の哲学」は多くの方に集まっていただき盛況でした。
 対話の方も、「シェア(共有)」について広く深く考えを巡らせることができました。どうやら、シェアというのは、時代を貫いて、人間の本性に深く根付いたものらしいということは分かりかけてきたような気がしたのですが・・・、いかがでしょうか?

 さて、次回、5月の哲学カフェ「晤語の哲学」の開催日をお知らせしておきます。テーマについては、また後日お知らせします。

日時:5月14日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)

次回は土曜日開催です。

中國新聞のコラム「緑地帯」の連載、明日から!

 哲学カフェ「晤語の哲学」の主催者の一人である川瀬雅也(島根大学教育学部)のコラムが、明日(4月15日)から中國新聞で連載されます。中國新聞文化欄の「緑地帯」というコラムで、「ときに哲学」というタイトルのもと、全8回の連載です。
 日常に転がっている出来事や、童謡の歌詞、童話などからちょっと哲学的に思索を広げてみたり、あるいは逆に、文学者、思想家、哲学者の言葉などをきっかけに日常の中にある哲学の芽を摘み取ってみたりする内容です。
 この「晤語の哲学」の趣旨やテーマにも沿うものだと思いますので、ご興味ある方はぜひご覧ください。
 今後、このコラムで展開したテーマを「晤語の哲学」のテーマとしても取り上げていきたいと思っています。

2016年3月25日金曜日

テーマ決定!(4月の晤語の哲学のご案内)

 次回、4月10日(日)の「晤語の哲学」のテーマを決定しました。今回はちょっとテーマの雰囲気を変えてみました。
 改めて、次回の開催についてご案内いたします。

日時:4月10日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「人はなぜシェア(共有)したがるのか?」
参加費:無料
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 最近、「シェアする」という言葉が流行です。特に、ネットの利用が一般的になってきて、多くの人で言葉や写真などを共有できるSNSが普及したことで、世代を問わず、みんながシェアに夢中です。なぜ、人はシェアしたがるのでしょうか?
 とりあえず原因と目的を考えることができるでしょう。もし、かつては人々がシェアに関心を持っていなかったというのなら、なぜシェアが望まれるようになったのか、と考えることができるでしょう。時代の変化でしょうか、心の変化でしょうか? 逆に、昔から人々はシェアを望んでいたというのなら、シェアすることは、何か〈人間の本質〉に関わることなのかもしれません。
 目的の方はどうでしょうか。人は何のためにシェアするのでしょうか。シェアしない状態から、シェアする(できる)状態に変わることで、人は何を得られるのでしょうか? 逆に、シェアできる状態からシェアできない状態に変わることで、人は何を失うのでしょうか? でも、そもそも「シェアする」ことは「手段」なのでしょうか? むしろ、「シェアする」こと自体が「目的」だということはないでしょうか? 人は、シェアするために、いろいろな手段を整えているのかもしれません。
 もちろん、シェアはネットでの情報のやり取りだけではありません。パブリック・ヴューイングなどというのも流行ですが、これも、例えば日本代表の試合をみんなで一緒に観て「感動」をシェアしたい人が多いから流行るのでしょう。ちょっと前は、映画を観ながら観客みんなで「歌う」なんていうことが流行ったりもしました。これも「シェア」の一種でしょうか。
 このように、私たちの身の回りのいろいろなところに「シェア」があるようですが、いったい、みんななんでこんなに「シェア」したがるのでしょうか?

2016年3月11日金曜日

4月の開催日について

 3月は「裏切りって何?」がテーマでした。愛憎入り乱れた白熱の議論になるか、とハラハラしてましたが、みなさん、裏切りを「裏切り」とも思わないような、寛容で優しい方たちで、罵声が飛び交うこともなく、穏便に対話がすすみ、安心しました。
 それはともかく、ファシリテータの力量不足もあるのでしょうが、今回はテーマとしてなかなか難しかったですね。「裏切り」という言葉に対する世代ごとの固定イメージの違いのようなものもあったのかもしれません。しかし、そうしたイメージの違いがあるということも、「裏切り」をテーマにしたからこそ浮かび上がったことだと言えるでしょう。

 さて、4月の哲学カフェ「晤語の哲学」の開催日をお知らせしておきます。テーマについては、また後日お知らせします。

日時:4月10日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)

次回は日曜日開催です。お間違えのないように。

2016年2月19日金曜日

テーマ決定!(3月の晤語の哲学のご案内)

 次回、3月5日(土)の「晤語の哲学」のテーマを決定しました。改めて、次回の開催についてご案内いたします。

日時:3月5日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「裏切りって何?」
参加費:無料
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 「裏切り」はちょっと微妙なテーマのような気がします。そもそも、「裏切り」は「良い」ことなのでしょうか? 「悪い」ことなのでしょうか? それは一般的には良いことだとは思えませんが、しかし、だからといって悪いことだとも言い切れません。例えば、内部告発によって、社会の安全が保てるなら、自分の会社を「裏切って」告発したほうが「良い」ということもあるでしょう。では、「裏切り」は、どんなときに「良い」ことで、どんなときに「悪い」ことなのでしょうか。
 また、そもそもある同じ行為が、場合によって「裏切り」とされたり、されなかったりします。例えば、「部活をやめること」や「親の指示に従わないこと」など。こうした判断の違いの背景には何があるのでしょうか? また、「部活をやめること」や「親の指示に従わないこと」が「裏切り」だとされる場合、それはいったい「何を」裏切っているのでしょか? さらに、ある行為を「裏切り」だとする人は、そう言うことで何を望んでいるのでしょうか?
 また、「裏切り」に敏感な社会と、そうでない社会というのもあるような気がします。日本の社会、あるいは、日本人の精神性は、比較的「裏切り」に敏感なような気もします。個人主義の社会よりも、〈和〉を尊重する社会の方が「裏切り」に敏感なのでしょうか? 誰かを「裏切り者」とすることで、社会は何を実現しようとしているのでしょうか?
 今回は、「裏切り」という言葉をめぐって、私たちの心や社会のあり方に深くメスを入れてみたいと思います。