ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2016年4月28日木曜日

5月の「晤語の哲学」のご案内

 次回の「晤語の哲学」のテーマが決定しましたので、改めて、開催日も含めてご案内します。
 なお、次回は、島根大学教育学部の丸橋静香准教授(教育哲学)がファシリテータを務めます。


日時:5月14日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「責任とは何か」
参加費:無料
ファシリテータ:丸橋静香(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp


テーマについて:
 私たちは「責任」というものを大事なものだと考えています。子育てや教育では「責任ある態度」や「責任感」がその目標に据えられます。会社や学校には「説明責任」や「企業の社会的責任」が求められます。一般市民には──たとえば環境問題と関連して──「将来世代に責任ある市民」であることが求められます。そして「無責任」は非難されます。
 それでは、その「責任」とは何を指しているのでしょうか。その意味は何なのでしょうか。何らかの事件・事故などネガティヴな出来事の原因になった人や会社などが、その責めを負うことでしょうか。あるいはそうした主体が引き起こすかもしれない(負の)出来事を予想し、その責めを引き受ける構えや覚悟のことでしょうか。つまり、原因となるかぎりで応答することが「責任」なのでしょうか。
 しかしながら、その一方で、私たちはある(負の)出来事に遭遇したとき、その原因に私が直接なっているわけではないけれど、そこに応答しなければ「気が済まない」「申し訳ない」といった感情を抱くことはないでしょうか。そしてそのとき「責任」という言葉が頭をよぎることはないでしょうか。
 このように、「責任」にはすこし考えただけでも多様な意味があります。対話を通じて、私たちが大事だと考えている(?)「責任」とはどういうものか考えていきたいと思います。

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