ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2016年2月19日金曜日

テーマ決定!(3月の晤語の哲学のご案内)

 次回、3月5日(土)の「晤語の哲学」のテーマを決定しました。改めて、次回の開催についてご案内いたします。

日時:3月5日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「裏切りって何?」
参加費:無料
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 「裏切り」はちょっと微妙なテーマのような気がします。そもそも、「裏切り」は「良い」ことなのでしょうか? 「悪い」ことなのでしょうか? それは一般的には良いことだとは思えませんが、しかし、だからといって悪いことだとも言い切れません。例えば、内部告発によって、社会の安全が保てるなら、自分の会社を「裏切って」告発したほうが「良い」ということもあるでしょう。では、「裏切り」は、どんなときに「良い」ことで、どんなときに「悪い」ことなのでしょうか。
 また、そもそもある同じ行為が、場合によって「裏切り」とされたり、されなかったりします。例えば、「部活をやめること」や「親の指示に従わないこと」など。こうした判断の違いの背景には何があるのでしょうか? また、「部活をやめること」や「親の指示に従わないこと」が「裏切り」だとされる場合、それはいったい「何を」裏切っているのでしょか? さらに、ある行為を「裏切り」だとする人は、そう言うことで何を望んでいるのでしょうか?
 また、「裏切り」に敏感な社会と、そうでない社会というのもあるような気がします。日本の社会、あるいは、日本人の精神性は、比較的「裏切り」に敏感なような気もします。個人主義の社会よりも、〈和〉を尊重する社会の方が「裏切り」に敏感なのでしょうか? 誰かを「裏切り者」とすることで、社会は何を実現しようとしているのでしょうか?
 今回は、「裏切り」という言葉をめぐって、私たちの心や社会のあり方に深くメスを入れてみたいと思います。


新聞にインタビュー記事が掲載されました。

 今年1月の「晤語の哲学」の際に、中國新聞から取材を受けましたが、そのときのインタビューの記事が、2月13日(土)の中國新聞に掲載されました。著作権の関係がありますので、ここでは紙面を紹介できませんが、ご興味のある方は、図書館等に行かれたときに、ご確認いただければと思います。
 ちなみに、記事は、「人文学の挑戦」というタイトルで、山口や岡山での哲学カフェの紹介と、川瀬のインタビュー記事で構成されています。インタビューでは、人文学や哲学カフェの意義について語っています。

2016年2月12日金曜日

3月の開催日について

 前回、2月7日は「自由」というテーマでしたが、単純なようでいて、難しかったですね。シンプルなだけに、いろいろな捉え方ができて、話し合いの食い違いも多かったように感じました。でも、「自由」というシンプルなテーマがそれだけ多様な側面と深さを持っているということ自体、「自由」についてじっくりと考えてみたからこそ、分かったことだと言えるでしょう。
 さて、3月は以下の日程で開催します。まだ、テーマは決めていませんが、決まり次第、改めてご連絡します。3月は土曜日開催です。


日時:3月5日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)