ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2014年1月7日火曜日

一月の「晤語の哲学」のご案内

 明けましておめでとうございます。本年も「晤語の哲学」をどうぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、一月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:1月18日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「ファッションって何?」
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 今回のテーマは「ファッション」です。といっても、「晤語の哲学」ですから、「今年は何が流行るか」という話ではなく、なぜ人はファッションにこだわるのか、ファッションは何をめざしているのか、体を飾ることに何の意味があるのか、など、ファッションの哲学的な本質の解明をめざしたいと思います。
 ファッションというのは言わば「余計なもの」です。寒さなどから身を守るために服を纏うのは自然なのことですが、ファッションには「それ以上」の意味があるように思えます。この「余計なもの」「それ以上」とは何でしょうか。そして、人はなぜ、この「余計なもの」「それ以上」にこれほどまでにこだわるのでしょうか? 自己顕示欲でしょうか? しかし、ユニフォームのように同じファッションを身に纏っている状況の中では「自己顕示欲」は満たされません。伝統的には、ファッションのなかにも、社会的な立場や役割等を周りに示すという実用的な意味合いがあったかもしれません。しかし、ファッションはしばしば、そうした実用性を超える「遊び心」から発達してきたように思います。また、人々の中にも、とりわけファッションにこだわる人とそうでない人がいますが、その違いは何でしょうか? ファッションを通して、私たちが社会のなかで生きる意味にまでも考えを広げていければいいと思います。