ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2013年8月30日金曜日

九月の「晤語の哲学」のご案内

 九月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:9月7日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「共感って何?」
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 今、「共感」がちょっとした流行のようです。ビジネスの世界でも、共感を呼ぶ口コミが広く伝わり、瞬く間に多くの共感者を作り出し、ヒット商品を生んだりしています。どの分野においても、人々の心をつかむために、いかに「共感」を生み出すことができるかが喫緊の課題になりつつあります。今回の「晤語の哲学」では、この「共感」に焦点を当てて、こうした社会現象としてよりも、もっと根本的に、そもそも共感とは何か? 共感できるための条件とは何か? 共感によって私たちは本当に同じことを感じているのか? などといったことを考えてみたいと思います。「共感」とは「共に感じること」です。ですから、「共感」は常に他人との関係を含みます。では、共感できる他者とできない他者の違いは何でしょうか? 「共感」できるためには、他者とどのような関係にあることが必要なのでしょうか? また、「共感」は人と人をどのように繋ぐのでしょうか? 「共感」によって、私たちは今よりもより平和的で、住みよい社会を作ることができるのでしょうか? それとも、健全な社会のためには、「共感」が成立しにくい多様性の方が重要なのでしょうか? 多様性と共感は共存できないものなのでしょうか? 今、流行の「共感」について、その根っこに立ち返って考えてみましょう。