tag:blogger.com,1999:blog-89385040537319831162024-03-13T16:53:16.843+09:00哲学カフェ「晤語の哲学」 島根大学・神戸女学院大学の川瀬雅也と心身教育研究所の土江正司の共催で行っている哲学カフェ「晤語(ごご)の哲学」のご紹介です。<br> 哲学カフェとは、ふだん話題にすることはないけれど、人生、社会、人間にとって本質的な問題(例えば、「生きがいって何?」「言葉って何?」など)について、ゆっくりとお茶を飲みながら、参加者みんなでアレコレと話しあい、考え、悩んでみるという企画です。ただし、本質的な問題ですから答えは出ません。むしろ、対話を通してとことん問いを深め、じっくり考えることがねらいです。<br> 開催は<u>原則月一回</u>、<u>土曜または日曜の午後</u>、場所は<u>島根大学学生市民交流ハウス FLAT</u>(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)です。<br> 参加申込、問い合せは、<u>下の「参加申込/問い合せ」フォームを利用し、名前、メールアドレスとともに送信</u>してください。なお、<u>参加費は不要</u>です。晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.comBlogger92125tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-28077087016823383732022-09-27T22:39:00.000+09:002022-09-27T22:39:08.576+09:00NHKカルチャーで講師をつとめます。<p> 昨年度の後期に引き続き、今年度後期も、NHKカルチャーでミシェル・アンリに関する講座の講師を務めます。</p><p> 今年度は、昨年、講師を務めた川瀬雅也(神戸女学院大学)と村松正隆(北海道大学教授)に加えて、伊原木大祐(京都大学准教授)も加わります。</p><p> 全六回で、以下のような内容です。</p><p>1回:ミシェル・アンリと西洋哲学史(川瀬) </p><p>2回:デカルトの掴んだもの、デカルトが掴み損ねたもの(村松) </p><p>3回:存在の感情、身体の感情─ルソーとビラン(村松) </p><p>4回:不安の発見─キルケゴールとともに(伊原木) </p><p>5回:ニーチェと生の高貴さ(伊原木) </p><p>6回:生と文化と野蛮と─ベルクソンとの近さ(川瀬) </p><div> 先に紹介した『ミシェル・アンリ読本』刊行を記念しての講座です。</div><div> 『ミシェル・アンリ読本』を手にとって講座を受講いただければベストですが、講座だけの受講でももちろんOKです。よろしくお願いいたします。</div><div><br /></div><div>NHK文化センターの講座のページへのリンクを貼っておきます。</div><div><br /></div><div><a href="https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1260885.html">NHK文化センター(青山教室)</a><br /></div><p><br /></p>晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-43791361276342471712022-09-27T22:28:00.000+09:002022-09-27T22:28:09.009+09:00編著書が出ました!<p> この度、川瀬が編者の一人をつとめた『ミシェル・アンリ読本』が法政大学出版局から刊行されました。左の欄をごらんください。</p><p> ミシェル・アンリは今年、生誕100年、没後20年となるフランスの哲学者です。生涯にわたって「私とは何か」という問題を徹底的に追究しました。アンリにとって「私」の本質は、歓びや苦しみという感情を通して、たえず実感されてくるものにほかなりません。〈私が私であること〉とは、私自身であることを歓ぶと同時に、それを苦しむことにほかなりません。歓びと苦しみが一つになった形で自分自身を実感すること、これが「自己」のあり方だとするのです。アンリは、そのような絶対的に内面的な自己の体験から出発して、西洋哲学史を読み直し、また、現代の文化のあり方、政治のあり方、さらには、芸術について、根本的なレベルから批判的に論究しました。</p><p> さらに、アンリは、哲学者であるだけでなく、小説家でもあり、四つの小説も執筆しています。そのうちの一作は、フランスでもっとも権威ある文学賞の一つ、ルノード賞を受賞しています。</p><p> 『ミシェル・アンリ読本』は、30人ほどの執筆者を擁して、こうしたアンリの思想や文学の全体像を描き出したものです。大変に読みごたえのある、充実した内容となっていますので、ぜひ、お手にとってご覧いただければと思います。</p><p> 出版社の許可を得て、川瀬が執筆した「まえがき」を貼り付けておきますので参考にしてください。</p><p><a href="https://drive.google.com/file/d/1qDYnw8HT0kuFXFy9AK5e4Cs3cJ3h30Py/view?usp=sharing">『ミシェル・アンリ読本』まえがき</a><br /></p><p><br /></p><p><br /></p><p><br /></p>晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-27468102963343524302022-07-17T13:10:00.006+09:002022-07-17T13:13:08.099+09:00「哲学のタマゴ」でファシリテータをつとめます。<p>8月7日(日)開催の哲学カフェ「哲学のタマゴ」でファシリテータをつとめます。</p><p>テーマは「〈ひとと違う〉ってどういうこと?」です。</p><p>詳細、および参加申し込みは以下のページからお願いします。</p><p><a href="https://sites.google.com/view/philoegg-12/ホーム">https://sites.google.com/view/philoegg-12/ホーム</a></p><p><br /></p>晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-13308179004855566752022-01-30T18:19:00.001+09:002022-01-30T18:19:29.862+09:00オンライン哲学カフェ「哲学のタマゴ」でファシリテータを担当します。<p> 「哲学のタマゴ」では、昨年7月にファシリテータを務めさせていただいて以来、今回が二回目のファシリテータになります。</p><p> 第8回「哲学のタマゴ」は以下の要領で行いますので、よろしければ、ぜひご参加ください。</p><p>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜</p><p> 日 時:2022年2月23日(水・祝)13:30~15:30</p><p> テーマ:あげる・もらうって何?</p><p> 場 所:オンライン(Zoom使用)</p><p> 参加費:無料</p><p> 定 員:15名</p><p><br /></p><p>「あげる・もらう」ものには何があるでしょうか。物、サービス、アイディア、心、魂など、様々なものが考えられます。誰が誰に「あげる・もらう」かも人と人とは限りません。人と動物、神と人、過去の自分と現在の自分、という組み合わせもあるでしょう。</p><p>また、「あげる」ことは「もらう」ことなのではという考え方もあります。</p><p>「あげる・もらう」という行為が私達にどのように影響しているのか、一緒に考えてみませんか。</p><p>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜</p><p>参加希望の方は、「哲学のタマゴ」のホームページから申し込みしてください。</p><p>URLは以下です。</p><p><a href="https://sites.google.com/view/philoegg-8">https://sites.google.com/view/philoegg-8</a></p><p><br /></p><p>「オミクロン株」が猛威をふるっています。どうぞみなさん、お気をつけください。</p>晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-24204505259409287342021-09-29T22:18:00.001+09:002021-09-29T22:18:19.020+09:00NHK文化センターのオンライン講座を担当します。<p>この度、北海道大学准教授の村松正隆さんとともに、NHK文化センターのオンライン講座を担当することになりましたので、お知らせします。</p><p>講座のタイトルは「感情から考える哲学入門:ミシェル・アンリ哲学への誘い」です。</p><p>案内文を下に引用しておきます。</p><p>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜</p><p>2022年に生誕100年・没後20年を迎えるフランスの哲学者がいます。名前はミシェル・アンリ。</p><p>西洋現代の哲学者のなかでも特異な立場に立つ彼が徹底的に探究したのは「自己とは何か」でした。自己を、外部との関係においてでなく、苦しみや喜びといった内的な感情から規定する彼の思想は、コロナ禍で、外部との関係が遮断された今だからこそ学ぶ価値があると言えるでしょう。</p><p>この講座では、同じく「自己とは何か」を探究した精神病理学者、木村敏の思想も取り上げつつ、ミシェル・アンリの思想をテーマにそくして紹介します。</p><p>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜</p><p>講義内容は以下のようになっています。</p><p><span style="font-family: inherit;">第1回:自己とは何か</span><span style="font-family: times;">──</span><span style="font-family: inherit;">感情から考える</span></p><p><span style="font-family: inherit;">第2回:世界とは何か</span><span style="font-family: times;">──</span><span style="font-family: inherit;">離人症から考える</span></p><p><span style="font-family: inherit;">第3回:生とは何か</span><span style="font-family: times;">──</span><span style="font-family: inherit;">「みずから」と「おのずから」</span></p><p><span style="font-family: inherit;">第4回:共同体とは何か</span><span style="font-family: times;">──</span><span style="font-family: inherit;">〈共に生きる〉を考える</span></p><p><span style="font-family: inherit;">第5回:絵画とは何か</span><span style="font-family: times;">──</span><span style="font-family: inherit;">カンディンスキーの絵画から考える</span></p><p><span style="font-family: inherit;">第6回:「真理」とは何か</span><span style="font-family: times;">──</span><span style="font-family: inherit;">福音書から考える</span></p><div><br /></div><div>第1回から第4回までの担当が川瀬。第5回、第6回の担当が村松さんです。</div><div>第1回が10月23日(土)で、その後、月1回ずつ全6回の講座です。</div><div><br /></div><div>川瀬の担当の回は、川瀬の著書『生の現象学とは何か──ミシェル・アンリと木村敏のクロスオーバー』(法政大学出版局、2019年)をもとにした内容になる予定です。</div><div><br /></div><div>詳しくは、NHK文化センターの当該講座へのページをご覧ください。</div><div><br /></div><div><a href="https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1237479.html">https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1237479.html</a></div><div><br /></div><div><br /></div>晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-30420855419951273052021-05-28T22:14:00.003+09:002021-06-21T00:01:28.998+09:00「哲学のタマゴ」のご案内<p> みなさま、大変ご無沙汰しております。コロナ禍のなか、いかがお過ごしでしょうか?</p><p> 本日は、告知のために、久しぶりにブログを更新いたします。</p><p> 松江での哲学カフェ「晤語の哲学」の共同主催者だった土江さん、そして、「晤語の哲学」に参加してくださっていた福間さん、勝部さんが、今年の2月から、オンラインでの哲学カフェの活動を始められました。</p><p> その第3回目、第4回目の会が、6月から7月にかけて開催されるそうですので、お知らせいたします。ちなみに、第4回は、川瀬がファシリテーターを務めさせていただくことになっています。</p><p> 以下、第3回、第4回についての情報です。</p><p>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜</p><p> 名称:哲学のタマゴ</p><p> 次回(第3回)</p><p> 6月19日土曜日 13:30~15:30</p><p> テーマ:「問いを作る」(ワークショップ)</p><p><br /></p><p> 第4回</p><p> 7月17日土曜日 13:30~15:30</p><p> テーマ:未定</p><p> ファシリテータ:川瀬雅也(神戸女学院大学)</p><p>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜</p><p> 「哲学のタマゴ」についての問い合せは以下にお願いいたします。</p><p> 問い合わせ先(哲学のタマゴ専用Gmail):PhiloEgg.21@gmail.com</p><p><br /></p><p> なお、川瀬が主催の哲学カフェ「晤語の哲学」は、現在のところ再開の予定はありません。コロナが通りすぎるまで、とりあえず、じっと待とうと思っています。(コロナが過ぎさったら、必ず再開します。)待つ時間も、「哲学する」時間のひとつかなぁ、などと思っています。</p><div><br /></div><p><br /></p>晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-33819743293902117972020-03-12T23:34:00.000+09:002020-03-12T23:34:11.725+09:003月の「晤語の哲学」中止のお知らせ 新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、3月21日の「晤語の哲学」の開催につきまして、主催者で検討しました結果、3月の会は中止するという判断にいたりました。<br />
すでにお申し込みいただいた方には申し訳ございませんが、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。<br />
<br />
ただ、前回の記事でもご報告しましたように、4月以降も、松江での哲学カフェを継続していくべく、現在、模索しているところです。この模索はひきつづき継続していき、その結果については、あらためてこのブログでご連絡いたします。<br />
松江での哲学カフェの継続計画については、みなさまにご協力をお願いすることもあるかと思います。その際には、ぜひご協力賜りますよう、お願い申し上げます。<br />
<br />
日本における新型コロナウイルスの感染状況は、日々、拡大していっているように見受けられます。みなさまにおかれましても、くれぐれもお気をつけください。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-9069763035772998962020-03-05T00:01:00.000+09:002020-03-05T00:01:28.609+09:003月21日の晤語の哲学について 3月21日開催予定の「晤語の哲学」についてお知らせいたします。<br />
<br />
現在、昨今の新型コロナウイルス感染の広がりを受けて、次回の「晤語の哲学」を予定通り開催すべきかどうか検討しております。<br />
まだ二週間以上先であること、また、開催のために特に大きな準備が必要であるわけでもないことなどから、開催するかどうかについては、もう少し様子を見てから判断しようと思っています。<br />
期日が近づきましたら、このブログでご連絡しますので、ブログの確認をよろしくお願いいたします。<br />
<br />
<br />
なお、開催する場合ですが、テーマは<br />
<br />
「縁(えん、えにし)って何?」<br />
<br />
にしようと思っています。<br />
ちょうど、別れと出会いの季節ですので、あらためて「縁」について考えてみたいと思います。<br />
<br />
また、もう一点、開催することになった場合について、事前にご連絡しておきます。<br />
以前もブログでお知らせしたように、主催者の川瀬は、3月末で松江を離れることになります。しかし、もうひとりの主催者である土江さんと、参加者のおひとりである福間さんが中心になって、4月以降もこの哲学カフェを継続していくことを計画してくださっています。<br />
そこで、3月21日は、哲学カフェを16時まで行ったあと、他の参加者の方も含めて、松江の哲学カフェの今後について話し合いの時間を持ちたいと思っていますので、話し合いに参加を希望される方は、時間を空けておいていただきますようお願いいたします。(どなたでも参加していただけますので、ご遠慮なく。)<br />
(なお、次回、開催が中止になった場合、この話し合いをどうするかについては、またおってご連絡いたします。)<br />
<br />
以上、よろしくお願いいたします。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-61498688422296586482020-02-17T21:50:00.002+09:002020-02-17T21:50:44.897+09:00次回の開催日について<div>
哲学カフェ「晤語の哲学」の次回の開催日を決定しましたのでお知らせします。</div>
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<br /></div>
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次回は、3月21日(土) 14時〜16時 に開催します。</div>
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場所は、いつもと同じ、島根大学松江キャンパスの学生市民交流ハウスFLATです。</div>
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テーマについては、決まり次第、改めてご連絡いたします。</div>
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なお、参加希望の方は、<a href="mailto:my901c@gmail.com">my901c@gmail.com</a>へご連絡をお願いいたします。</div>
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晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-33748936407041805032019-12-17T00:51:00.000+09:002019-12-17T00:51:11.929+09:0012月の晤語の哲学のご報告 まず、今回の「晤語の哲学」にお申し込み・お問い合わせいただいた方に、お詫びしなければなりません。ブログのメールシステムがうまく機能せず、フォームからメールをお送りいただいたのに、私のところにメールが届いておらず、返信することができませんでした。申し訳ありませんでした。<br />
原因はいまだ分かりませんので、とりあえず、今後、お申し込み・お問い合わせについては、直接、下記のメールアドレスにお送りいただきますよう、お願いいたします。(参加申込/問い合せフォームは削除しました。)<br />
<br />
参加申込/問い合せ:my901c@gmail.com<br />
<br />
さて、それでは12月の晤語の哲学の内容について、その一端をご紹介しましょう。<br />
今回は、参加者7名、主催者2名の計9名での開催でした。テーマは「地域」。もちろん、「意地域社会」といったような意味での「地域」です。ほとんどの参加者が、はじめ、このテーマについて「何を考えたらいいのか分からない」という状態でしたが、二時間の対話を終えたときには、みなさん、地域というテーマの背後にこんなに深く広い問題が潜んでいたのかと感心しておられました。<br />
近年、世の中では、地域との結びつきを重視する傾向が見られるなか、今回の参加者のみなさんは、比較的、「地域」というものに否定的なイメージを持つ人が多かったようです。理由は、「自治会が面倒」という意見から、地域への執着のうちに「冒険を嫌う安定志向」や「排他的な意識」の現れが感じられるから、という意見まで、いろいろありました。<br />
いっぽう、一昔前は、人々の暮らしが地域なしでは成り立たなかったはずであり、地域抜きに個人の暮らしを考えることができなかったと思われます。それに比べると、現代の日本人の暮らしは地域から切り離されていると言えますが、その理由は、人々の暮らし方(特に住宅や建物のあり方)のうちにあるのではないか、という意見が出されました。住宅が個々の家族を、さらには、個人の生活を仕切るように設計されることで、人々の意識が閉鎖的になり、「地域との結びつき」を厭わしく思ったり、他者との関わりを避ける傾向が生まれてきたのではないか、ということでした。<br />
では逆に、最近の「地域」重視の傾向はどう説明されるのでしょうか。ある参加者は、最近の地域重視の傾向は東日本大震災がきっかけだったのではないかと言っていました。確かに、そうした面はあるように感じられます。あのような大きな震災は、まさに人々の暮らしを根底からひっくり返します。もちろん、震災など起こって欲しくはありませんが、しかし同時に、あのような、現在の人間の生活を根底からひっくり返すような出来事が、人々に、人間が「生きること」、とりわけ「共に生きること」にとって真に大事なものに気づかせてくれるということはあるかもしれません。もし震災をきっかけに「地域」が見直される機運が高まったならば、それは、震災という不幸が、現代人が忘れていた「共に生きること」の意味を私たちに思い出させてくれたからなのかもしれません。<br />
どうやら、人の心の中には「つながりたい」と「独立したい」という二つの欲求が混在しているように思われます。地域との関わりという問題は、こうした人々の心の奥にある深い欲求と直結した問題であるように思えてきました。<br />
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晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-54293218570678757502019-12-04T13:31:00.001+09:002019-12-04T13:31:14.574+09:00次回のテーマについて 次回のテーマを決定しましたので、お知らせします。<br />
次回のテーマは「地域って何?」です。<br />
テーマを含めて、再度、次回の開催要領を記しておきます。<br />
<br />
日時:12月14日(土) 14時~16時<br />
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT<br />
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)<br />
(以下のキャンパスマップをご参照ください。<br />
https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)<br />
テーマ:「地域って何?」<br />
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学・神戸女学院大学教授)<br />
<br />
参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-8981285134646644452019-10-31T22:55:00.001+09:002019-10-31T22:55:22.129+09:00次回の開催日について哲学カフェ「晤語の哲学」の次回の開催日を決定しましたのでお知らせします。<br />
<br />
次回は、<u>12月14日(土)</u> <u>14時〜16時</u> に開催します。<br />
場所は、いつもと同じ、島根大学松江キャンパスの学生市民交流ハウスFLATです。<br />
<br />
テーマについては決定次第、このブログにて告知いたします。<br />
<br />
なお、松江で開催できる哲学カフェ「晤語の哲学」は、おそらく、次回を含めて、あと二回になりそうです。<br />
次々回は、来年2月か3月を予定しており、おそらく、それが松江での最終回になると思います。<br />
残り少なくなってきましたが、とにかく、参加してくださるみなさんと、楽しく、充実した時間を過ごせたらと思っています。<br />
<br />
次回の「晤語の哲学」に参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。<br />
<br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-84468449167585363312019-10-07T22:56:00.000+09:002019-10-07T22:56:03.801+09:0010月の晤語の哲学のご報告 今回は、主催者2人を含めて、9名の参加者でしたが、うち2名ははじめて参加の方でした。<br />
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では、今回も対話の一端をご紹介しましょう。今回のテーマは「〈愛する/愛される〉ってどういうこと?」でした。まず、二つの意見が出されました。一つは、〈愛する/愛される〉を喜びやうれしさを伴う好ましい人間関係だとする意見、もう一つは、愛は非常に幅広い対象(恋人、家族、所属先、祖国、文化など)に関わるが、しかし、その中心にあるのは常に「自分」であり、その意味では、「愛」とは常に「自己愛」なのでは、とする意見です。しかし、ただちに、対立する意見が出されます。個人的な体験から、相手に対する尊重に基づかない、自分勝手な愛は、むしろ、相手に負担をかけるものだと主張され(愛は好ましいものばかりではないとする意見)、むしろ、愛は相手への肯定/尊重を含まなければいけない(愛は自己愛であってはならない)とする意見です。そして、これに同調するかたちで、愛の反対は「無関心」であるとする説が紹介されると、これをきっかけに、対話はより深い方向へと進み始めました。</div>
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ある参加者は、「愛する」ことを「愛を与える」ことと考えると、「与えた」のだから見返りを欲しいと考えてしまうが、本当の「愛する」とはそれとは違って、むしろ、相手に関心を持ち、相手を知りたいと思うことなのではないかと話してくれました。相手に感心をもつのは、「自己」というものがいつも欠如をかかえているからかもしれません。人は、しばしば、その欠如を他人からの愛、承認、見返り等で埋めようとします。しかし、大事なのは、欠けている自分を自分で受け入れ、愛してあげることなのかもしれません。ある参加者はこれを「健全な自己愛」と呼びました。欠けている自分を愛することで、欠如を無理矢理、形ばかりの「愛」で埋めようとせず、乾きを癒やそうとするように自然と他者を求める自分を肯定でき、見返りを考えることなく、素直に他者を愛せるのかもしれません。また、そのようにして、同時に、他者からの愛も自然に受け入れられるのかもしれません。こう考えると、「健全な自己愛」「他者を愛する」「他者から愛される」がすべて一つのこととしてつながってきます。おおよそ、こんな対話が展開されました。</div>
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「愛」というとても抽象的で、多様な側面をもつテーマだっただけに、それぞれの参加者の考えがかみ合わず、空中分解するのでは、と心配でしたが、結果的には、非常に充実した対話が展開され、主催者としても大満足の二時間でした。</div>
晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-10808100007653746592019-09-27T12:04:00.001+09:002019-09-27T12:04:52.275+09:00次回のテーマについて 次回のテーマを決定しましたので、お知らせします。<br />
次回のテーマは「〈愛する/愛される〉ってどういうこと?」です。<br />
テーマを含めて、再度、次回の開催要領を記しておきます。<br />
ご興味のある方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みの上、ご参加ください。<br />
<br />
日時:10月5日(土) 14時~16時<br />
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT<br />
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)<br />
(以下のキャンパスマップをご参照ください。<br />
https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)<br />
テーマ:「〈愛する/愛される〉ってどういうこと?」<br />
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学・神戸女学院大学教授)<br />
<br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-73807951192358975952019-08-30T23:47:00.000+09:002019-08-30T23:47:19.365+09:00次回の開催日について 哲学カフェ「晤語の哲学」の次回の開催日についてお知らせします。<br />
<br />
次回は、<u>10月5日(土)</u>、<u>14時〜16時</u> に開催します。<br />
場所は、いつもと同じ、島根大学松江キャンパス <u>学生市民交流ハウス</u> です。<br />
<br />
当初は9月開催予定でしたが、少しずれこむことになりました。よろしくお願いいたします。<br />
<br />
参加を希望される方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームから申し込みをお願いします。また、話し合うテーマの希望についても、同じフォームからお寄せ下さい。<br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-44368320135789137232019-08-09T11:13:00.000+09:002019-08-09T11:13:34.727+09:007月の「晤語の哲学」のご報告 今回は、参加者6名、主催者2名の計8名での開催でした。テーマは「お金って何?」。以前から扱ってみたいと思いつつ、思い切れなかったテーマですが、今回、参加者の方から出していただいた希望テーマの中にあったので、思い切って扱ってみました。しかし、「案の定」というか、やはり難しいテーマでした。<br />
<div>
まず、「お金」というと、どうしても、経済システムのほうに頭がいってしまいがちですが、むしろ、「哲学カフェ」としては、お金の「人間的意味」を焦点化しようということになりました。が、その「人間的意味」をどう捉えるかという点で、みなさんバラバラで、議論の展開としては弱かったように思います。</div>
<div>
今日は、そのなかでも三つの観点にしぼってまとめておこうと思います。</div>
<div>
一つは「価値」に関わることです。これは、主に、「お金」をネガティブに捉える観点だと言えます。金銭的な価値によって、それぞれの人の個人的価値が揺らいでしまう面があることが指摘されたり、また、金銭的な価値基準があまりにも分かりやすいので、非金銭的な価値が忘却されがちであることが指摘されました。例えば、自分にとって価値がある/ないにかかわらず、値段が高ければ価値があると思ってしまうとか、欲しくないものでも安く買えたら「得した」と思ってしまうとか。そして、そんなことに惑わされている間に「お金よりも大切な何か」を忘れてしまうと。</div>
<div>
二つ目の観点はお金が人と人の「媒介」をなすという観点です。この観点は、特に地域通貨を例として語られました。地域通貨の趣旨は、基本的には、貯蓄、財産、利益といったものではなく、誰でもが遠慮なしに相互扶助の関係に立てるようにするものだと思います。しかし、人間関係を合理的な「ギブ&テイク」の関係に還元するということに対してさえ、私たちのうちには、無意識的な抵抗感があることが指摘されました。</div>
<div>
三つ目は、目に見えない「気持ち」を目に見える形にしているのが「お金」なのではないか、という観点です。本当の意味での福祉、親切、思いやりというのは、本来、お金には換算できないものですが、私たちはすっかり、そうしたものもお金に換算することに慣れてしまっています(地域通貨もその一例です)。でも、それは悪いことばかりではなく、それによって、社会全体の「豊かさ」が増すならば、いいことなのではないかと指摘されました。もちろん、その場合の「豊かさ」とは、経済的なものだけでなく、心の豊かさも含みます。親切をお金に換えて、それでみんなが心豊かに暮らせるなら、それはいいことではないか、という意見です。</div>
<div>
私たちは、普段、すっかり「お金のシステム」に慣れきってしまっていますが、時には、その深い意味について考え直してみるのもいいかもしれません。</div>
晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-31948148646955700682019-07-06T09:58:00.000+09:002019-07-06T09:58:17.768+09:00次回のテーマについて 次回の「晤語の哲学」のテーマが決まりましたので、お知らせします。<br />
テーマは「お金って何?」<br />
「老後2000万円」問題、「キャッシュレス決済」など、最近、「お金」にまつわる話題を多く聞きますが、そうした問題を念頭に置きつつ、「お金」の本質、「お金」の「人間的意味」のようなものを探ってみたいと思います。<br />
<br />
日時、場所を含めて、改めて、次回の要領を記しておきます。<br />
<br />
日時:7月27日(土) 14時~16時<br />
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT<br />
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)<br />
(以下のキャンパスマップをご参照ください。<br />
https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)<br />
テーマ:「お金って何?」<br />
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学・神戸女学院大学教授)<br />
<br />
参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。<br />
<br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-54540123450502386952019-06-14T08:03:00.000+09:002019-06-14T08:03:30.188+09:007月の「晤語の哲学」の日程について<br />
次回の「晤語の哲学」の日程が決まりましたのでお知らせします。<br />
<br />
2019年7月27日(土) 14時〜16時<br />
<br />
場所は、いつもと同じ、島根大学松江キャンパスの「学生市民交流ハウス」です。<br />
テーマについては、決まり次第、お知らせいたします。<br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-43397327206833461952019-05-19T22:26:00.000+09:002019-05-19T22:26:26.175+09:005月の「晤語の哲学」のご報告 今回の哲学カフェ「晤語の哲学」は、参加者7人、主催者2人の合計9人でした。テーマは「恥って何?」。では、さっそく、どんな対話が行われたか、その一端をご紹介しましょう。<br />
<div>
今回の対話は、恥の感情に縛られて、身動きできなくなってしまうことがある、という指摘からはじまりました。自分に対する他者の評価を気にしたり、社会の常識に照らして自分の現状を考えたりすると、恥の感情にさいなまれてしまう、というのです。あとから考えると、他者の評価だけでなく、常識でさえ、変わりやすい相対的なものでしかないのに、そんなものに右往左往していた自分がなさけなくなると。</div>
<div>
しかし、他者に承認されたいという欲求は誰にでもあるものでしょう。そして、常識を気にすることだってまったく普通なことです。ならば、他者の承認や常識を意識して、それに照らして自分を振り返ったときに、恥ずかしい思いをするのは当然なことのようにも思えます。</div>
<div>
でも他方で、こうした恥の感情は、自分を図る基準を自己の外にばかり置いていることから生じるとも言えるでしょう。自分にプライドを持ち、評価基準を自己自身の内側に持てるなら、他者や常識に対して自己を恥じることもないように思えます。どんなときでも、「自分は自分」と思えるなら、恥など感じないのではないでしょうか。</div>
<div>
しかし、恥の意識を持たなくてすむというのは本当にいいことなのでしょうか。ある参加者は、恥の意識にもプラス面があると指摘してくれました。恥は、自分でも気づいていない、〈自分の状態と他者の評価や社会常識とのズレ〉を教えてくれるものであり、恥を通して、このズレに気づくことで、それを修正することが可能になると言うのです。それは、〈自分を社会に合わせる〉という場合もありますが、場合によっては、自分の恥を通して、社会の常識の異常さに気づき、〈常識をただす〉きっかけ作りになることだってあることでしょう。</div>
<div>
すると、恥は、一方で、人を身動きさせなくしてしまうものであると同時に、他方では、人に気づきをあたえ、人を動かす力を持つものであると言えるでしょう。どうやら恥にはこうした二面性があるらしいのです。ならば、恥が持つこの二面性は互いにどのように関係しているのでしょうか・・・。</div>
<div>
と、こんなふうに、疑問はつきないのですが、実際、私たちの対話も疑問に疑問を重ねるように展開し、決して答えにたどり着きはしませんが、参加者それぞれが、自分自身の恥の感情について、深く考える機会になったように思えます。</div>
晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-33909477157944280702019-05-13T09:15:00.000+09:002019-05-13T09:15:32.796+09:00次回テーマのお知らせ 遅くなってしまいましたが、今週末開催の「晤語の哲学」のテーマをお知らせいたします。<br />
今回のテーマは「恥って何?」。<br />
日本文化は「恥の文化」(ルース・ベネディクト)だ、などとも言われますが、確かに、私たちの日常生活や人間関係の中で「恥」というのは大きな意味を占めているように思います。そうした「恥」について、あらためて多方面から掘り下げてみましょう。<br />
<br />
次回の開催要領を再度、掲載しておきます。<br />
<br />
日時:5月18日(土) <span style="color: red;">15時~17時(いつもより1時間遅いスタートです)</span><br />
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT<br />
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)<br />
(以下のキャンパスマップをご参照ください。<br />
https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)<br />
テーマ:「恥って何?」<br />
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学・神戸女学院大学教授)<br />
<br />
参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。<br />
<div>
<br /></div>
晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-73445345166654136032019-04-22T11:24:00.000+09:002019-04-22T11:24:38.185+09:00五月の「晤語の哲学」について 五月の哲学カフェ「晤語の哲学」は以下の日程で開催します。<br />
<br />
日時:5月18日(土) <span style="color: red;">15時~17時</span><br />
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT<br />
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)<br />
(以下のキャンパスマップをご参照ください。<br />
<a href="https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html">https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html</a>)<br />
<br />
5月18日(土)はホーランエンヤの「渡御祭」ですが、松江中心部でのスケジュールは午前中が主ですので、「晤語の哲学」は、午後に、少し余裕を持たせて、<u>15時スタート</u>ということで開催いたします。場所はいつもの「学生市民交流ハウス フラット」です。<br />
<br />
参考(ホーランエンヤのスケジュール):<br />
<a href="https://www.ho-ran2019matsue.jp/schedule.html">https://www.ho-ran2019matsue.jp/schedule.html</a><br />
<br />
参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。<br />
また、テーマも常時募集しています。希望のテーマがある方は、同じく、右の「参加申込/問い合せ」フォームからご連絡ください。参考にさせていただきます。<br />
次回のテーマは、決まり次第、告知いたします。<br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-13471917440952733492019-03-22T16:44:00.000+09:002019-03-22T16:44:03.561+09:003月の「晤語の哲学」のご報告<br />
<div>
今回は、主催者2名を含めて全部で11名の参加者でした。テーマは「生きる意味って何?」。いつもに輪をかけて抽象的で、難しいテーマでしたが、驚いたことに、とても充実した対話ができました(と川瀬は思います)。今回の報告では、いつものように対話の一端をご紹介するのではなく、対話を通して川瀬が考えたことを中心に記してみたいと思います。</div>
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まず、今回のテーマにアプローチするために、動物と人間を比較してみました。おそらく、「生きる意味」について問うことのできる動物はいないでしょう。動物は本能的に生きており、いわば生きることに没入しているように思います。言い換えれば、動物は〈自分が生きること〉から距離を取って、それを眺めることができないのです(もちろん、動物の種によって違いがあるでしょうが)。それに対して、人間は〈自分が生きること〉を距離をおいて眺めることができます。生きることに没入している状態から身を引き離して、それを冷静に眺めて見ることができるのです。「生きる意味」への問いはそのときにはじめて生まれるのでしょう。</div>
<div>
ですから、「生きる意味」を問えるのは人間だけだと言えますが、今回の対話を通して考えたのは、この「生きる意味への問い」と「人間が生きること」との関係に次の三つの型があるのではないか、ということでした。</div>
<div>
1)第一の型:確かに「生きる意味」を問えるのは人間だけですが、多くの人は日常的にそんな問いは立てません。日々、仕事、家事、社会的役割、趣味、習い事等、「しなければならないこと」に没頭(没入)して生きている人がほとんどです。この状態においては、動物と同じというわけではないですが、〈自分が生きること〉から身を引き離して、それを冷静に眺めて見ることはないと言えます。ですから、ここでは「生きる意味」は問題になりません。</div>
<div>
2)第二の型:これは「しなければならないこと」への没入状態から抜け出して、「生きる意味」を問おうとする状態です。自分は何のために生きるのか、生きる目的・理由は何か、自分の生きがいとは何か、など。この状態においては、ただ生きるのではなくて、善く生きる、充実して生きることが問題になるでしょう。</div>
<div>
3)第三の型:第二の型は、いかに充実した人生を送るかについて考えている状態ですが、しかし、その状態においてさえも、そもそも自分が生きていることの意味や価値については問うことはないでしょう。自分が生きていることそのものについては素朴に肯定できていて、そのうえで、その人生をいかに充実して生きるかが問題になっている状態だと言えます。しかし、第三の型は、自分が生きていることに対してにわかには肯定できない状態、自分が生きていることを肯定するか、否定するかが問題になっている状態、あるいは、それを肯定できず、自分の存在を否定してしまいそうになっている状態だと言えます。</div>
<div>
これら三つの型は「状態」ですから、一人の人の中に混在しているものだと言えます。もちろん、もっぱら第一の型で生きている人もいますし、そうした人が多いでしょうが、そうした人でも、状況によって、第二、第三の型のような状態になることがあるでしょう。</div>
<div>
また、「生きる意味」が問題になってくるのは第二、第三の型においてですが、多くの場合、人が「生きる意味」ということで念頭に思い浮かべるのは、第二の型における問題、つまり、いかに充実した人生を送るか、いかに人生の目標を定めるか、といったことであるように思います。</div>
<div>
しかし、本当の意味で、あるいは、最も先鋭化した形で「生きる意味」が問題になるのは第三の型においてではないでしょうか。第三の型に見られる状態は決して一般的なものではないでしょうが、しかし、それは多くの人がその人生において遭遇しうる状態であるように思います。つまり、何らかの要因で生きることそのものに困難を抱かざるをえないような状態です。例えば、人生の失敗から極度に落ち込む、親しい人を亡くす、重い病気になる、障害をもって生きる、いじめを受ける、など、〈自分が生きることそのもの〉、〈自分の存在そのもの〉に安心感、肯定感を持てなくなってしまうような状況です(もちろん、こうした状況においても、強く自分の生を肯定できる人もいるでしょうが)。このような状況においてこそ、「生きる意味」が深く心に突き刺さる問題として立ち上がってくるのだろうと思うのです。</div>
<div>
では、こうした第三の型の状態に立たされたとき、人は「生きる意味」をどこに見いだしたらいいのでしょうか。実は、私にもその答えは分かりません。しかしまた、この問いに対する「答え」がどこかにあるようにも思えません。だとするなら、この問いに対して消極的に、つまり、「自分の存在なんて意味がない」と考える必要もない、ということにならないでしょうか。</div>
<div>
おそらく、われわれの周りには、意味・理由・価値といった(しばしば使われる)尺度では測れないものがあるのではないでしょうか。そして、そうしたものの一つが「生きること」なのかもしれません。だからこそ、「生きる意味」に対する答えを見いだせないのです。「生きること」は、本来、意味・価値・理由といった尺度には収まらないのに、むりやりにそうした尺度をあてがうことで、もしかしたら「生きること」の多様性・豊穣性を極度に狭め、貧しくしてしまっているのかもしれません。</div>
<div>
対話の中でも、「生きる意味などない」という哲学者の言葉を紹介してくれた人がいました。それは、もしかしたら、「生きること」は「意味(有意味・無意味)」という尺度では測れない、ということなのかもしれません。では、「生きること」にあてがいうる別の尺度があるのでしょうか。それとも、「生きること」は尺度そのものを拒絶するのでしょうか。</div>
<div>
問いはここで止めておきます。みなさんはどう考えるでしょうか。</div>
<div>
<br /></div>
晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-10755224923237122292019-03-12T11:18:00.000+09:002019-03-12T11:18:33.648+09:003月の「晤語の哲学」のご案内3月の哲学カフェ「晤語の哲学」は以下の要領で行います。<br />
参加ご希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームから申し込みをお願いします。<br />
<br />
日時:3月21日(木・祝) 14時~16時<br />
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT<br />
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)<br />
(以下のキャンパスマップをご参照ください。<br />
https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)<br />
テーマ:「生きる意味って何?」<br />
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教授)<br />
<br />
今回は、かなり大きなテーマですが、同時に、誰でもが、普段まず考えることのない(逆に、考え始めたら、<u>普通に</u>生きられなくなってしまう)テーマではないでしょうか。<br />
普段考えることのないテーマを考えてみることこそ、哲学カフェの真骨頂。<br />
哲学カフェの真髄を存分に味わいましょう。晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-36663408662490749702019-03-02T11:25:00.000+09:002019-03-02T11:27:16.702+09:00宣伝! 哲学カフェ「晤語の哲学」の主催者の一人である川瀬が、このたび、新著を出版しましたので、お知らせ(宣伝)いたします。<br />
<br />
タイトルは、『生の現象学とは何か──ミシェル・アンリと木村敏のクロスオーバー』(法政大学出版局、2019年)です。<br />
<br />
一応、「生の現象学」への<u>入門書</u>として書きました。(「生の現象学」って何? と思われるでしょうが、そうした問いに答えるのがこの本だと思ってください。)<br />
とかく抽象的で、難解になりがちな哲学の議論ですが、分かりやすく叙述し、また、具体例もたくさん用いて、一般の方や学生さん(哲学以外の専門の方も含めて)でも、それなりに理解していただけるように書いたつもりです。<br />
ただし、単なる概説書でなく、専門の哲学研究者が読んでも、それなりに「読み応え」のあるものを書きたいと思っていましたので、そのような著書になるように努力しました。<br />
しかし、はたして、それが成功しているかどうかは、読者のみなさんの判断にお任せするよりありません。<br />
<br />
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-RDKa21rAAEc/XHnlOuglaiI/AAAAAAAAAbY/V2biGYicqFgvFyQc-qs1N5bGJKTd46iswCK4BGAYYCw/s1600/9784588151002_0.jpg" imageanchor="1"><img border="0" height="320" src="https://3.bp.blogspot.com/-RDKa21rAAEc/XHnlOuglaiI/AAAAAAAAAbY/V2biGYicqFgvFyQc-qs1N5bGJKTd46iswCK4BGAYYCw/s320/9784588151002_0.jpg" width="225" /></a><br />
<br />
法政大学出版局の紹介ページ<br />
<a href="http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-15100-2.html">http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-15100-2.html</a><br />
<br />
<br />
なお、ついでに、以前の著書と翻訳書も紹介させていただきます。<br />
(ただし、こちらは、それなりに専門的な内容になっています。)<br />
<br />
『経験のアルケオロジー──現象学と生命の哲学』(勁草書房、2010年)<br />
勁草書房のページ<br />
<a href="http://www.keisoshobo.co.jp/book/b245378.html">http://www.keisoshobo.co.jp/book/b245378.html</a><br />
<br />
『ミシェル・アンリ──生の現象学入門」(勁草書房、2012年)<br />
勁草書房のページ<br />
<a href="http://www.keisoshobo.co.jp/book/b103689.html">http://www.keisoshobo.co.jp/book/b103689.html</a><br />
<br />晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8938504053731983116.post-27180058161752789162019-02-27T22:32:00.000+09:002019-02-27T22:32:31.224+09:003月の日程&来年度の予定 哲学カフェ「晤語の哲学」の3月の日程が決まりましたので、お知らせします。<br />
<br />
<u>日時:3月21日(木・祝) 14時〜16時</u><br />
<br />
場所は、いつものように、島根大学松江キャンパスの<u>学生市民交流ハウスFLAT</u>です。<br />
<br />
テーマの希望は常時受け付けています。右の「参加申込/問い合せ」フォームから希望のテーマをお送りください。<br />
次回のテーマは、決定次第、お知らせいたします。<br />
<br />
また、参加の申し込みも、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお願いいたします。<br />
<br />
なお、来年度の予定についてもご連絡しておきます。<br />
「晤語の哲学」の主催者の一人である島根大学の川瀬雅也は、来年度から、関西の大学に転任することになりました。ただ、来年度いっぱいは、およそ月に1、2回のペースで、島根大学でも授業を担当する予定です。<br />
そこで、来年度の「晤語の哲学」は隔月で開催したいと思っています。(ただし、現時点では、今後の状況がはっきりとは見通せませんので、これは一応の「努力目標」とさせてください。)<br />
したがって、次々回の「晤語の哲学」は5月に開催できればと思っています。<br />
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。晤語の哲学http://www.blogger.com/profile/16662699153953560419noreply@blogger.com0