ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2016年1月27日水曜日

2月の「晤語の哲学」のご案内

 前回の「晤語の哲学」は、予想されたほど天気も荒れず、無事に、楽しく開催することができました。参加者も多く、楽しい中にも、真剣なムードで、あっと言う間の二時間でした。
 今回は中国新聞社と島根大学学生プレス研究会から、「人文学のあり方」というテーマをめぐって、取材を受けました。それぞれどんな記事に仕上がるのか、楽しみです。記事になったら、また、このブログで紹介することにいたします。

 さて、2月の「晤語の哲学」のテーマを決めました。日程等も含め、再度、ご案内いたします。次回は日曜開催ですので、お間違えのないように。


日時:2月7日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「自由って何?」
参加費:無料
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 今回のテーマは「自由」。あえてオーソドックスなテーマに挑戦です。
 基本的に、「自由」が問題になりうるのは、私たちの行動が社会(多くの他者)に関わるからだと言えるでしょう。本当に誰にも迷惑をかけない行為なら、誰でもが自由に行えるはずです。でも、「社会」というのは、同じ時間を過ごしている人たちばかりを指すのではありません。社会には歴史があり、伝統があります。そこから、私たちは、他者に対する迷惑とは関係なく、過去から伝わる伝統に則った行為を強いられますし、それに背くことに抵抗感を感じます。つまり、私たちの行為は、社会、他者、過去などに縛られていると言えるでしょう。
 ならば、心の内面についてはどうでしょうか。外に対して行動するのではなく、心の中で何かを思っているだけなら、社会や他者に迷惑をかけることはありませんし、伝統に背くこともありません。でも、本当に、私たちは「内面の自由」を維持することができるのでしょうか。しばしば私たちの〈好み〉は外からの影響によって変わります。誰でもが、みんなが「好き」と言うものを自然と「好き」になってしまっているように思います。私たちは、自分の心の内面においてさえ、必ずしも自由ではないのかもしれません。
 では、こんなに制限だらけの私たちにとって、「自由」とは何を意味しているのでしょうか。私たちの「自由」はいったいどこにあるのでしょうか。

2016年1月23日土曜日

本日の「晤語の哲学」は予定通り開催します。

 本日の「晤語の哲学」は予定通り開催することといたします。
 しかし、今日の午後から明日にかけて、徐々に荒れた天気になる予報が出ていますので、参加を予定されている方は、安全に十分ご配慮いただいた上でご参加ください。
 

2016年1月21日木曜日

23日の「晤語の哲学」について

 次回の「晤語の哲学」は、明後日の23日(土)に予定されていますが、天気予報によりますと、23日の松江地区は、雪または雨という荒れた天気が予想されています。
 そこで、23日に開催するかどうかは、当日の天気を確認した上で、このブログ上でご連絡したいと思います。当日の10時くらいまでには決定したいと思いますので、ご参加予定の方は、ブログを確認していただきますよう、お願いいたします。

2016年1月10日日曜日

二月は日曜日開催です。

 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。本年が、みなさまにとってよい年になることを祈念しております。

 さて、一月の「晤語の哲学」はまだ二週間ほど先ですが、二月の「晤語の哲学」を二月の第一日曜日に開催することになりましたので、先に、その日程だけお知らせしてます。

日時:2月7日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)

なお、テーマはまだ決めていませんので、決まり次第、またお知らせいたします。

 以前にも書きましたように、二月から、可能な限り、隔月で土日交代の開催にしたいと考えています。土曜に都合のつかない方は、ぜひ日曜の月にご参加ください。