ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2016年6月24日金曜日

7月の「晤語の哲学」のテーマ

 7月の「晤語の哲学」のテーマを決めました。日時等と合わせて、再度、ご案内いたします。
 なお、前回の記事に書いたように、次回は、時間を午後4時〜6時にずらし、「晤語の哲学」のあと、懇親会を開催したいと思います。「晤語の哲学」への参加申し込みは不要ですが、懇親会は会場予約のため、参加希望の方はその旨、ご連絡いただきたいと思います。下記に再度詳細を記しておきます。

7月の「晤語の哲学」の開催日時・場所
 日時:7月9日(土) 午後4時〜6時いつもと時間が変わります。
 場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
    (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
 テーマ:「お金って何?」
 参加費:無料
 ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教育学部)
 参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
 問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
         kawase@edu.shimane-u.ac.jp

「晤語の哲学」懇親会
 日時:7月9日(土) 午後6時30分頃〜(「晤語の哲学」終了後)
 場所:島根大学近隣(お店は未定)
 (飲食代がかかります。学生は配慮します。)

懇親会に参加希望の方は7月2日(土)までに川瀬までご連絡ください。
電話:0852-32-6284(留守番電話あり)
 (留守番電話に入れる場合はお名前と電話番号をお知らせください。)
メール:kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 今回のテーマは「お金」です。ふつう「お金」は経済のテーマだと考えられるでしょうが、ここでは、お金の「人間的意味」とでもいうものについて考えてみたいと思います。
 といっても、経済学でお金がどのように規定されているかも、十分に参考になるでしょう。一般に貨幣は「価値尺度」「交換手段」「価値貯蔵手段」といった機能をもつとされます。つまり、貨幣は、物の価値をはかったり、物と物の交換を媒介したり、消耗してしまう物に代わって価値を蓄積したりする機能をもつと考えられています。
 一方、お金の「人間的意味」について考えるには、お金にまつわることわざを考えるといいかもしれません。「時は金なり」「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰も金次第」「金は天下の回り物」「金持ち喧嘩せず」「辛抱する木に金がなる」「安物買いの銭失い」「猫に小判」などなど、お金にまつわることわざはたくさん見つけられます。
 これらのことわざの中で、お金は、「価値あるもの・大切なものの象徴」、「豊かさの象徴」、「取り引きや問題解決の手段」、「人に努力・辛抱を促すもの」などを意味しているように思われます。その意味では、やはり貨幣の経済的意味をより「比喩的」に表現していると言えるかもしれません。
 しかし、よく見てみると、これらのことわざのなかには、「お金」という言葉を使いつつも、「お金では買えないもの」、「お金では代わりを果たせないもの」の価値を言い表そうとしているものもあるように思われます。
 お金は、一方で、価値や豊かさの象徴であると同時に、他方では、真の価値を覆い隠してしまうもの、ある種の「偽物」の象徴にもなっているのでしょう。お金の「人間的意味」には、こうした逆説的なところがあるように思われます。
 いくら経済が重要だからといって、「お金のことしか頭にない」というのはちょっと寂しい話ですが、しかし、現代社会を生きる者にとって、「お金のことを考えない」というのは無理な話でもあります。そこで、改めて、〈現代社会で生きること〉にとってお金がどのような「人間的意味」を持つのかを考えてみたいと思います。

2016年6月19日日曜日

7月の開催日および懇親会について

7月の「晤語の哲学」の開催日をお知らせします。(テーマは後日お知らせします。)
7月は時間をズラして開催し、「晤語の哲学」のあと、近場で懇親会を開催することといたしました。
「晤語の哲学」に関しては参加申し込みは不要ですが、懇親会については参加人数把握のため、参加の申し込みをお願いしたいと思います。
懇親会に参加希望の方は、下記の要領でお知らせいただきますようお願いいたします。
なお、本日の「晤語の哲学」で懇親会についてお伝えしたところ、現時点で10名の方の参加が予定されています。
もちろん、「晤語の哲学」のみの参加でも構いませんし、また、懇親会のみの参加でもいっこうに構いません。

7月の「晤語の哲学」の開催日時・場所
 日時:7月9日(土) 16時〜18時(いつもと時間が変わります。)
 場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
    (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)

「晤語の哲学」懇親会
 日時:7月9日(土) 18時30分頃〜(「晤語の哲学」終了後)
 場所:島根大学近隣(お店は未定)
 (飲食代がかかります。学生は配慮します。)

懇親会に参加希望の方は7月2日(土)までに川瀬までご連絡ください。
電話:0852-32-6284(留守番電話あり)
 (留守番電話に入れる場合はお名前と電話番号をお知らせください。)
メール:kawase@edu.shimane-u.ac.jp

普段の「晤語の哲学」では、なかなか参加者どうしでじっくりとお話しする時間が持てませんので、ぜひ、懇親会に参加していただき、お互いに親睦を深めていただけたらと思います。

2016年6月4日土曜日

6月のテーマ決定!

 次回の哲学カフェ「晤語の哲学」のテーマを決定しました。日時も含めて、改めて詳細をお知らせいたします。

日時:6月19日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「〈感情を言葉にする〉ってどういうことか?」
参加費:無料
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp


テーマについて:
 ある一定の年齢以上の、しかも、特に男性にとっては、愛情を言葉で語ることほど「ばつの悪い」ものはないでしょう。男は「言わなくても分かってるだろ」と腹の底で思い、女は「いいえ、言ってくれなきゃ分からないわ」と腹を立ててみせる、なんていうのはよくあるステレオタイプです。でも、このとき、女は(もちろん、じっさいは女だけとはかぎらないのですが)いったい何を望んでいるのでしょうか。女は、本当に、〈言葉にしなければ感情を理解できない〉というわけではないでしょう。男の愛情はよく分かってるけど、それでも言葉が欲しいのです。いったい感情だけでは、何が足りないというのでしょうか。
 一方、「言葉では言いあらわせない感情」などということもよく言います。あまりにも悲惨な事件や出来事について感想を求められた人が、マイクに向かって、「なんて言ったらいいのか、言葉がありません」とうつむく姿をよく目にします。この人にとっては、感情の激しさに言葉がついていかないのでしょう。感情の激流を言葉という狭い水路に導くことなどおよそできないのです。感情というものは、大きければ大きいほど、言葉のうちには納まりきらないものなのでしょう。
 しかし、それならば、「女」が「男」に〈愛情を言葉にしろ〉などと言うのは矛盾した話ではないでしょうか。愛が深ければ深いほど、それは言葉という小さな枠組みにはとても納まりきらないのですから。でも、おそらく、女だってバカではありませんから(いや、しばしば男より女の方が「賢い」ですから)、深い愛情が言葉をあふれ出ることぐらい知っているでしょう。それでもなお女は「言葉」を欲しがるのです。
 さてはて、いったい〈感情を言葉にする〉ってどういうことなのでしょうか?