なお、前回の記事に書いたように、次回は、時間を午後4時〜6時にずらし、「晤語の哲学」のあと、懇親会を開催したいと思います。「晤語の哲学」への参加申し込みは不要ですが、懇親会は会場予約のため、参加希望の方はその旨、ご連絡いただきたいと思います。下記に再度詳細を記しておきます。
7月の「晤語の哲学」の開催日時・場所
日時:7月9日(土) 午後4時〜6時(いつもと時間が変わります。)
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「お金って何?」
参加費:無料
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
kawase@edu.shimane-u.ac.jp
日時:7月9日(土) 午後6時30分頃〜(「晤語の哲学」終了後)
場所:島根大学近隣(お店は未定)
(飲食代がかかります。学生は配慮します。)
懇親会に参加希望の方は7月2日(土)までに川瀬までご連絡ください。
電話:0852-32-6284(留守番電話あり)
(留守番電話に入れる場合はお名前と電話番号をお知らせください。)
メール:kawase@edu.shimane-u.ac.jp
テーマについて:
今回のテーマは「お金」です。ふつう「お金」は経済のテーマだと考えられるでしょうが、ここでは、お金の「人間的意味」とでもいうものについて考えてみたいと思います。
といっても、経済学でお金がどのように規定されているかも、十分に参考になるでしょう。一般に貨幣は「価値尺度」「交換手段」「価値貯蔵手段」といった機能をもつとされます。つまり、貨幣は、物の価値をはかったり、物と物の交換を媒介したり、消耗してしまう物に代わって価値を蓄積したりする機能をもつと考えられています。
一方、お金の「人間的意味」について考えるには、お金にまつわることわざを考えるといいかもしれません。「時は金なり」「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰も金次第」「金は天下の回り物」「金持ち喧嘩せず」「辛抱する木に金がなる」「安物買いの銭失い」「猫に小判」などなど、お金にまつわることわざはたくさん見つけられます。
これらのことわざの中で、お金は、「価値あるもの・大切なものの象徴」、「豊かさの象徴」、「取り引きや問題解決の手段」、「人に努力・辛抱を促すもの」などを意味しているように思われます。その意味では、やはり貨幣の経済的意味をより「比喩的」に表現していると言えるかもしれません。
しかし、よく見てみると、これらのことわざのなかには、「お金」という言葉を使いつつも、「お金では買えないもの」、「お金では代わりを果たせないもの」の価値を言い表そうとしているものもあるように思われます。
お金は、一方で、価値や豊かさの象徴であると同時に、他方では、真の価値を覆い隠してしまうもの、ある種の「偽物」の象徴にもなっているのでしょう。お金の「人間的意味」には、こうした逆説的なところがあるように思われます。
いくら経済が重要だからといって、「お金のことしか頭にない」というのはちょっと寂しい話ですが、しかし、現代社会を生きる者にとって、「お金のことを考えない」というのは無理な話でもあります。そこで、改めて、〈現代社会で生きること〉にとってお金がどのような「人間的意味」を持つのかを考えてみたいと思います。
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