新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、3月21日の「晤語の哲学」の開催につきまして、主催者で検討しました結果、3月の会は中止するという判断にいたりました。
すでにお申し込みいただいた方には申し訳ございませんが、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
ただ、前回の記事でもご報告しましたように、4月以降も、松江での哲学カフェを継続していくべく、現在、模索しているところです。この模索はひきつづき継続していき、その結果については、あらためてこのブログでご連絡いたします。
松江での哲学カフェの継続計画については、みなさまにご協力をお願いすることもあるかと思います。その際には、ぜひご協力賜りますよう、お願い申し上げます。
日本における新型コロナウイルスの感染状況は、日々、拡大していっているように見受けられます。みなさまにおかれましても、くれぐれもお気をつけください。
哲学カフェ「晤語の哲学」
島根大学・神戸女学院大学の川瀬雅也と心身教育研究所の土江正司の共催で行っている哲学カフェ「晤語(ごご)の哲学」のご紹介です。
哲学カフェとは、ふだん話題にすることはないけれど、人生、社会、人間にとって本質的な問題(例えば、「生きがいって何?」「言葉って何?」など)について、ゆっくりとお茶を飲みながら、参加者みんなでアレコレと話しあい、考え、悩んでみるという企画です。ただし、本質的な問題ですから答えは出ません。むしろ、対話を通してとことん問いを深め、じっくり考えることがねらいです。
開催は原則月一回、土曜または日曜の午後、場所は島根大学学生市民交流ハウス FLAT(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)です。
参加申込、問い合せは、下の「参加申込/問い合せ」フォームを利用し、名前、メールアドレスとともに送信してください。なお、参加費は不要です。
2020年3月12日木曜日
2020年3月5日木曜日
3月21日の晤語の哲学について
3月21日開催予定の「晤語の哲学」についてお知らせいたします。
現在、昨今の新型コロナウイルス感染の広がりを受けて、次回の「晤語の哲学」を予定通り開催すべきかどうか検討しております。
まだ二週間以上先であること、また、開催のために特に大きな準備が必要であるわけでもないことなどから、開催するかどうかについては、もう少し様子を見てから判断しようと思っています。
期日が近づきましたら、このブログでご連絡しますので、ブログの確認をよろしくお願いいたします。
なお、開催する場合ですが、テーマは
「縁(えん、えにし)って何?」
にしようと思っています。
ちょうど、別れと出会いの季節ですので、あらためて「縁」について考えてみたいと思います。
また、もう一点、開催することになった場合について、事前にご連絡しておきます。
以前もブログでお知らせしたように、主催者の川瀬は、3月末で松江を離れることになります。しかし、もうひとりの主催者である土江さんと、参加者のおひとりである福間さんが中心になって、4月以降もこの哲学カフェを継続していくことを計画してくださっています。
そこで、3月21日は、哲学カフェを16時まで行ったあと、他の参加者の方も含めて、松江の哲学カフェの今後について話し合いの時間を持ちたいと思っていますので、話し合いに参加を希望される方は、時間を空けておいていただきますようお願いいたします。(どなたでも参加していただけますので、ご遠慮なく。)
(なお、次回、開催が中止になった場合、この話し合いをどうするかについては、またおってご連絡いたします。)
以上、よろしくお願いいたします。
現在、昨今の新型コロナウイルス感染の広がりを受けて、次回の「晤語の哲学」を予定通り開催すべきかどうか検討しております。
まだ二週間以上先であること、また、開催のために特に大きな準備が必要であるわけでもないことなどから、開催するかどうかについては、もう少し様子を見てから判断しようと思っています。
期日が近づきましたら、このブログでご連絡しますので、ブログの確認をよろしくお願いいたします。
なお、開催する場合ですが、テーマは
「縁(えん、えにし)って何?」
にしようと思っています。
ちょうど、別れと出会いの季節ですので、あらためて「縁」について考えてみたいと思います。
また、もう一点、開催することになった場合について、事前にご連絡しておきます。
以前もブログでお知らせしたように、主催者の川瀬は、3月末で松江を離れることになります。しかし、もうひとりの主催者である土江さんと、参加者のおひとりである福間さんが中心になって、4月以降もこの哲学カフェを継続していくことを計画してくださっています。
そこで、3月21日は、哲学カフェを16時まで行ったあと、他の参加者の方も含めて、松江の哲学カフェの今後について話し合いの時間を持ちたいと思っていますので、話し合いに参加を希望される方は、時間を空けておいていただきますようお願いいたします。(どなたでも参加していただけますので、ご遠慮なく。)
(なお、次回、開催が中止になった場合、この話し合いをどうするかについては、またおってご連絡いたします。)
以上、よろしくお願いいたします。
2020年2月17日月曜日
次回の開催日について
哲学カフェ「晤語の哲学」の次回の開催日を決定しましたのでお知らせします。
次回は、3月21日(土) 14時〜16時 に開催します。
場所は、いつもと同じ、島根大学松江キャンパスの学生市民交流ハウスFLATです。
テーマについては、決まり次第、改めてご連絡いたします。
なお、参加希望の方は、my901c@gmail.comへご連絡をお願いいたします。
2019年12月17日火曜日
12月の晤語の哲学のご報告
まず、今回の「晤語の哲学」にお申し込み・お問い合わせいただいた方に、お詫びしなければなりません。ブログのメールシステムがうまく機能せず、フォームからメールをお送りいただいたのに、私のところにメールが届いておらず、返信することができませんでした。申し訳ありませんでした。
原因はいまだ分かりませんので、とりあえず、今後、お申し込み・お問い合わせについては、直接、下記のメールアドレスにお送りいただきますよう、お願いいたします。(参加申込/問い合せフォームは削除しました。)
参加申込/問い合せ:my901c@gmail.com
さて、それでは12月の晤語の哲学の内容について、その一端をご紹介しましょう。
今回は、参加者7名、主催者2名の計9名での開催でした。テーマは「地域」。もちろん、「意地域社会」といったような意味での「地域」です。ほとんどの参加者が、はじめ、このテーマについて「何を考えたらいいのか分からない」という状態でしたが、二時間の対話を終えたときには、みなさん、地域というテーマの背後にこんなに深く広い問題が潜んでいたのかと感心しておられました。
近年、世の中では、地域との結びつきを重視する傾向が見られるなか、今回の参加者のみなさんは、比較的、「地域」というものに否定的なイメージを持つ人が多かったようです。理由は、「自治会が面倒」という意見から、地域への執着のうちに「冒険を嫌う安定志向」や「排他的な意識」の現れが感じられるから、という意見まで、いろいろありました。
いっぽう、一昔前は、人々の暮らしが地域なしでは成り立たなかったはずであり、地域抜きに個人の暮らしを考えることができなかったと思われます。それに比べると、現代の日本人の暮らしは地域から切り離されていると言えますが、その理由は、人々の暮らし方(特に住宅や建物のあり方)のうちにあるのではないか、という意見が出されました。住宅が個々の家族を、さらには、個人の生活を仕切るように設計されることで、人々の意識が閉鎖的になり、「地域との結びつき」を厭わしく思ったり、他者との関わりを避ける傾向が生まれてきたのではないか、ということでした。
では逆に、最近の「地域」重視の傾向はどう説明されるのでしょうか。ある参加者は、最近の地域重視の傾向は東日本大震災がきっかけだったのではないかと言っていました。確かに、そうした面はあるように感じられます。あのような大きな震災は、まさに人々の暮らしを根底からひっくり返します。もちろん、震災など起こって欲しくはありませんが、しかし同時に、あのような、現在の人間の生活を根底からひっくり返すような出来事が、人々に、人間が「生きること」、とりわけ「共に生きること」にとって真に大事なものに気づかせてくれるということはあるかもしれません。もし震災をきっかけに「地域」が見直される機運が高まったならば、それは、震災という不幸が、現代人が忘れていた「共に生きること」の意味を私たちに思い出させてくれたからなのかもしれません。
どうやら、人の心の中には「つながりたい」と「独立したい」という二つの欲求が混在しているように思われます。地域との関わりという問題は、こうした人々の心の奥にある深い欲求と直結した問題であるように思えてきました。
原因はいまだ分かりませんので、とりあえず、今後、お申し込み・お問い合わせについては、直接、下記のメールアドレスにお送りいただきますよう、お願いいたします。(参加申込/問い合せフォームは削除しました。)
参加申込/問い合せ:my901c@gmail.com
さて、それでは12月の晤語の哲学の内容について、その一端をご紹介しましょう。
今回は、参加者7名、主催者2名の計9名での開催でした。テーマは「地域」。もちろん、「意地域社会」といったような意味での「地域」です。ほとんどの参加者が、はじめ、このテーマについて「何を考えたらいいのか分からない」という状態でしたが、二時間の対話を終えたときには、みなさん、地域というテーマの背後にこんなに深く広い問題が潜んでいたのかと感心しておられました。
近年、世の中では、地域との結びつきを重視する傾向が見られるなか、今回の参加者のみなさんは、比較的、「地域」というものに否定的なイメージを持つ人が多かったようです。理由は、「自治会が面倒」という意見から、地域への執着のうちに「冒険を嫌う安定志向」や「排他的な意識」の現れが感じられるから、という意見まで、いろいろありました。
いっぽう、一昔前は、人々の暮らしが地域なしでは成り立たなかったはずであり、地域抜きに個人の暮らしを考えることができなかったと思われます。それに比べると、現代の日本人の暮らしは地域から切り離されていると言えますが、その理由は、人々の暮らし方(特に住宅や建物のあり方)のうちにあるのではないか、という意見が出されました。住宅が個々の家族を、さらには、個人の生活を仕切るように設計されることで、人々の意識が閉鎖的になり、「地域との結びつき」を厭わしく思ったり、他者との関わりを避ける傾向が生まれてきたのではないか、ということでした。
では逆に、最近の「地域」重視の傾向はどう説明されるのでしょうか。ある参加者は、最近の地域重視の傾向は東日本大震災がきっかけだったのではないかと言っていました。確かに、そうした面はあるように感じられます。あのような大きな震災は、まさに人々の暮らしを根底からひっくり返します。もちろん、震災など起こって欲しくはありませんが、しかし同時に、あのような、現在の人間の生活を根底からひっくり返すような出来事が、人々に、人間が「生きること」、とりわけ「共に生きること」にとって真に大事なものに気づかせてくれるということはあるかもしれません。もし震災をきっかけに「地域」が見直される機運が高まったならば、それは、震災という不幸が、現代人が忘れていた「共に生きること」の意味を私たちに思い出させてくれたからなのかもしれません。
どうやら、人の心の中には「つながりたい」と「独立したい」という二つの欲求が混在しているように思われます。地域との関わりという問題は、こうした人々の心の奥にある深い欲求と直結した問題であるように思えてきました。
2019年12月4日水曜日
次回のテーマについて
次回のテーマを決定しましたので、お知らせします。
次回のテーマは「地域って何?」です。
テーマを含めて、再度、次回の開催要領を記しておきます。
日時:12月14日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
(以下のキャンパスマップをご参照ください。
https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)
テーマ:「地域って何?」
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学・神戸女学院大学教授)
参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。
次回のテーマは「地域って何?」です。
テーマを含めて、再度、次回の開催要領を記しておきます。
日時:12月14日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
(以下のキャンパスマップをご参照ください。
https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)
テーマ:「地域って何?」
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学・神戸女学院大学教授)
参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。
2019年10月31日木曜日
次回の開催日について
哲学カフェ「晤語の哲学」の次回の開催日を決定しましたのでお知らせします。
次回は、12月14日(土) 14時〜16時 に開催します。
場所は、いつもと同じ、島根大学松江キャンパスの学生市民交流ハウスFLATです。
テーマについては決定次第、このブログにて告知いたします。
なお、松江で開催できる哲学カフェ「晤語の哲学」は、おそらく、次回を含めて、あと二回になりそうです。
次々回は、来年2月か3月を予定しており、おそらく、それが松江での最終回になると思います。
残り少なくなってきましたが、とにかく、参加してくださるみなさんと、楽しく、充実した時間を過ごせたらと思っています。
次回の「晤語の哲学」に参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。
次回は、12月14日(土) 14時〜16時 に開催します。
場所は、いつもと同じ、島根大学松江キャンパスの学生市民交流ハウスFLATです。
テーマについては決定次第、このブログにて告知いたします。
なお、松江で開催できる哲学カフェ「晤語の哲学」は、おそらく、次回を含めて、あと二回になりそうです。
次々回は、来年2月か3月を予定しており、おそらく、それが松江での最終回になると思います。
残り少なくなってきましたが、とにかく、参加してくださるみなさんと、楽しく、充実した時間を過ごせたらと思っています。
次回の「晤語の哲学」に参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。
2019年10月7日月曜日
10月の晤語の哲学のご報告
今回は、主催者2人を含めて、9名の参加者でしたが、うち2名ははじめて参加の方でした。
では、今回も対話の一端をご紹介しましょう。今回のテーマは「〈愛する/愛される〉ってどういうこと?」でした。まず、二つの意見が出されました。一つは、〈愛する/愛される〉を喜びやうれしさを伴う好ましい人間関係だとする意見、もう一つは、愛は非常に幅広い対象(恋人、家族、所属先、祖国、文化など)に関わるが、しかし、その中心にあるのは常に「自分」であり、その意味では、「愛」とは常に「自己愛」なのでは、とする意見です。しかし、ただちに、対立する意見が出されます。個人的な体験から、相手に対する尊重に基づかない、自分勝手な愛は、むしろ、相手に負担をかけるものだと主張され(愛は好ましいものばかりではないとする意見)、むしろ、愛は相手への肯定/尊重を含まなければいけない(愛は自己愛であってはならない)とする意見です。そして、これに同調するかたちで、愛の反対は「無関心」であるとする説が紹介されると、これをきっかけに、対話はより深い方向へと進み始めました。
ある参加者は、「愛する」ことを「愛を与える」ことと考えると、「与えた」のだから見返りを欲しいと考えてしまうが、本当の「愛する」とはそれとは違って、むしろ、相手に関心を持ち、相手を知りたいと思うことなのではないかと話してくれました。相手に感心をもつのは、「自己」というものがいつも欠如をかかえているからかもしれません。人は、しばしば、その欠如を他人からの愛、承認、見返り等で埋めようとします。しかし、大事なのは、欠けている自分を自分で受け入れ、愛してあげることなのかもしれません。ある参加者はこれを「健全な自己愛」と呼びました。欠けている自分を愛することで、欠如を無理矢理、形ばかりの「愛」で埋めようとせず、乾きを癒やそうとするように自然と他者を求める自分を肯定でき、見返りを考えることなく、素直に他者を愛せるのかもしれません。また、そのようにして、同時に、他者からの愛も自然に受け入れられるのかもしれません。こう考えると、「健全な自己愛」「他者を愛する」「他者から愛される」がすべて一つのこととしてつながってきます。おおよそ、こんな対話が展開されました。
「愛」というとても抽象的で、多様な側面をもつテーマだっただけに、それぞれの参加者の考えがかみ合わず、空中分解するのでは、と心配でしたが、結果的には、非常に充実した対話が展開され、主催者としても大満足の二時間でした。
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