ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2017年9月8日金曜日

沈黙は内面性である。

「おしゃべりするというのはどういうことであろうか? それは黙することと語ることとのあいだの情熱的な選言を排除することである。ほんとうに黙することのできる者だけが、ほんとうに語ることができ、ほんとうに黙することのできる者だけがほんとうに行動することができる。沈黙は内面性である。おしゃべりはほんとうに語ることを先取りしてしまい、反省の所見は機先を制して行動を弱める。しかし沈黙をまもりうるがゆえにほんとうに語ることのできる人は、語るべき多くの話題をもたない、ただひとつの話題をもつばかりであろう。そしてその人は語るべき時と黙すべき時を見いだすであろう。おしゃべりは外延的にひろがっていく。つまり、おしゃべりはありとあらゆるものをおしゃべりの話題にし、そしてひっきりなしにしゃべりつづける。個人個人が足ることを知って心静かに、満ち足りて心ゆたかに、宗教的な内面性に甘んじて、心を内に向けているのではなくて、むしろ反省関係において心を外に向け、互いに求め合うような時代、〔…〕そのような時代には、おしゃべりが時(とき)を得顔(えがお)に栄える。〔…〕おしゃべりは沈黙の瞬間を恐れる、沈黙の瞬間は空虚さを暴露するだろうからである。」(キルケゴール、『現代の批判』、岩波文庫、88-89ページ)

おしゃべりをやめて、沈黙しよう。そして、沈黙を通して、語るべきことを再び語りはじめよう。

2017年3月10日金曜日

四月以降の予定について。

長い間、更新が止まっていて申し訳ありません。
4月以降の予定は3月中にご連絡申し上げる予定です。
よろしくお願いいたします。