ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2016年3月25日金曜日

テーマ決定!(4月の晤語の哲学のご案内)

 次回、4月10日(日)の「晤語の哲学」のテーマを決定しました。今回はちょっとテーマの雰囲気を変えてみました。
 改めて、次回の開催についてご案内いたします。

日時:4月10日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「人はなぜシェア(共有)したがるのか?」
参加費:無料
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 最近、「シェアする」という言葉が流行です。特に、ネットの利用が一般的になってきて、多くの人で言葉や写真などを共有できるSNSが普及したことで、世代を問わず、みんながシェアに夢中です。なぜ、人はシェアしたがるのでしょうか?
 とりあえず原因と目的を考えることができるでしょう。もし、かつては人々がシェアに関心を持っていなかったというのなら、なぜシェアが望まれるようになったのか、と考えることができるでしょう。時代の変化でしょうか、心の変化でしょうか? 逆に、昔から人々はシェアを望んでいたというのなら、シェアすることは、何か〈人間の本質〉に関わることなのかもしれません。
 目的の方はどうでしょうか。人は何のためにシェアするのでしょうか。シェアしない状態から、シェアする(できる)状態に変わることで、人は何を得られるのでしょうか? 逆に、シェアできる状態からシェアできない状態に変わることで、人は何を失うのでしょうか? でも、そもそも「シェアする」ことは「手段」なのでしょうか? むしろ、「シェアする」こと自体が「目的」だということはないでしょうか? 人は、シェアするために、いろいろな手段を整えているのかもしれません。
 もちろん、シェアはネットでの情報のやり取りだけではありません。パブリック・ヴューイングなどというのも流行ですが、これも、例えば日本代表の試合をみんなで一緒に観て「感動」をシェアしたい人が多いから流行るのでしょう。ちょっと前は、映画を観ながら観客みんなで「歌う」なんていうことが流行ったりもしました。これも「シェア」の一種でしょうか。
 このように、私たちの身の回りのいろいろなところに「シェア」があるようですが、いったい、みんななんでこんなに「シェア」したがるのでしょうか?

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