ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2018年10月14日日曜日

10月の「晤語の哲学」のご報告

 今回は、参加者9人、主催者2人の11人での開催でした。初参加の方も3名おられました。
 さて、今回のテーマは「思い出って何?」。ファシリテータの独断も交えながら、どんな議論が交わされたのか、ちょっと紹介しましょう。
 まずは、思い出を肯定するような意見が多く出されました。思い出が「自分を構成している」、思い出は「希望」につながる、思い出が「自分への自信のベース(こやし)」になる、など。これは、思い出という過去を、現在や未来への展望を含むもの、自己の土台になるものとしてイメージした意見だと言えるでしょう。このように考える人は、「苦い思い出」も、それが思い出として残っている以上、自分にとって「良い面」を含んでいるに違いないと考えているようでした。
 他方、思い出に対する「否定的な」意見もありました。それは、思い出に繋がるような物を捨ててしまいたいタイプの人、なにか人生の転機のおりに、思い出にしがみつかず、過去の物を捨ててしまって、自分を変え、身軽になることに価値を見出すタイプの人です。こういう人は、過去との連続性、過去からの惰性のうちに「自分」を見るのではなく、「自分」を積極的・主体的に作りあげていこうとするタイプの人かもしれません。
 もちろん、後者のタイプの人も、思い出を全否定するわけではなく、むしろ、自分を新たに作るために「乗り越えるべきもの」として思い出を前提しているのですから、その意味では、「思い出の上にこそ自分がある」と考える点で、前者と変わらないのかもしれません。
 その他、次のような意見・疑問も出されました。思い出について考えるには、「忘れる」ことの意味を考える必要があるのでは。思い出ははかなく、忘れてしまいがち、でも、しばしば品物(遺品や写真)がトリガーになって、忘れていた思い出が蘇るときがある。では、「はかない思い出」(心の中にしかないもの)と「物」(現実にあるもの)との関係はどうなっているのだろうか。思い出は、共有されて、人と人を繋ぐことがある。では、思い出の共有を通した他者との関係ってどんなものだろう。よく「思い出作り」って言うけど、そもそも「思い出」って意図的に「作れる」ものなの。思い出は記憶と何が違うんだろう。などなど・・・。
 「思い出」って、ある意味では「実に単純なこと」で、とても「身近なもの」ですが、だからこそかえって今回のテーマは難しかったように思います。これこそまさに、哲学がテーマとする「近すぎて見えないもの」なのでしょう。

 さて、すでにお知らせしている通り、次回は11月10日(土)、14時〜16時です。テーマが決まりましたら、またご案内します。なお、次回以降のテーマの希望も募集しています。テーマの希望は「参加申込・問い合せ」フォームからお願いします。

2 件のコメント:

  1. 参加者です。大変楽しく、そして有意義な時間でした。参加する前は「思い出」というテーマに、それほど深いものを感じていなかったのですが、確かに「近すぎて見えないもの」だったと思います。身近なところに広角レンズのように焦点があたる感じは快感です。足元を見ることなく、ただ目的地に着くことだけを目指すのではなく、一歩一歩を楽しみながら歩けるようになる感覚です。

    返信削除
    返信
    1. 参加いただき、ありがとうございました。「遠く」をつかむこと、「遠く」まで届くことに躍起になっている世の中ですが、
      そんななかで、「近すぎて見えないもの」を見直すことのできる時間と場所があることは大切なことのように思います。

      削除