ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2018年9月17日月曜日

9月の「晤語の哲学」のご報告

 9月の「晤語の哲学」は、参加者8人(うち4人は初参加)+主催者2人の合計10人で行いました。
テーマは「〈主体的〉ってどんなこと?」。
とても難しいテーマでしたが、同時に、とても充実した議論ができました。

 まず、さまざまなところでよく聞く「主体的に行動しなさい」という表現が含む「矛盾」の指摘からはじまりました。つまり、「主体的」であるように「しなさい」、と命令していることが「矛盾」だという指摘です。
 そこで、なんでこれが「矛盾」なのかを考えていきました。
 どうやら、主体的は「内」「自分」に関わることなのに、命令は「外」「他人」「社会」に関わることだから、そうした両者を結びつけることが「矛盾」になるのではないか、ということになりました。
 また、外からの評価というのは、個々人の主体性を「比較」し、「数値」で表わそうとしますが、内的には、主体性は、その人自身にとっての「喜び」や「充実感」で測られるものではないか、という意見も出ました。
 しかし、新たな問いかけとして出てきたのは、しばしば「外」からの刺激によって、ある人が初めて主体的になることがあるのではないか、ということ、また、人々は、しばしば、外的に評価されることを自分の「喜び」にして、外からの要求に適った自分を、自分の主体性と取り違えてしまうことがあるのではないか、ということでした。
 人は、環境から切り離されて生きて行くことはできません。環境が人を育てるとも言えます。その意味では、「内」(自分)と「外」(環境)はそんなに簡単には切り離せないものなのかもしれません。
 この環境のなかには、人との「関わり」もあるでしょう。そこから、人の主体性は、他人との安心できる関わりのなかではじめて育ってくるものだという意見も出ました。しかし、それに対して、安心できる他者との関わりよりも、逆境や違和感を感じる環境の中での方が、主体性が育つのではないか、という意見も出ました。
 確かに、主体性が「目立つ」のは、逆境や違和感の中にあってこそ、と言えるかもしれません。しかし、そもそも逆境や違和感に立ち向かえるだけの「自立性」が育ってくるのは、安心できる他者との関わりを背景にしてだと考えることができるのではないでしょうか。

 と、こんな感じの議論でした。
 途中で議論がこんがらがって、ときどき迷宮に迷いこみそうになりながらも、なんとか最後まで活発な話し合いができました。

さて、次回は、10月13日(土)、午後2時〜4時の予定です。
場所は、いつものとおり、島根大学の学生市民交流ハウス「フラット」です。
次回のテーマが決まりましたら、あらためてご連絡いたします。

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