ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2015年12月19日土曜日

一月の「晤語の哲学」のご案内

 先日の12日(土)、松江での第二回目の「晤語の哲学」を開催しました。前回より、少し人数は少なめでしたが、それでも、とても中身の濃い対話になり、楽しかったです。

 さて、この哲学カフェ「晤語の哲学」に関して、小さい変更点が二つあります。
1)これまで土曜開催としてきましたが、今後は、隔月で土日交代で実施しようと考えています。とりあえず次回の一月は土曜ですが、二月以降は、土日交代にしたいと考えています。
2)これまで島根大学教育学部哲学教室主催としてきましたが、主催の母体を、島根大学PiES研究会に改めます。PiESとはPhilosophy in Education and Societyの略で、「教育と社会の中で活きる哲学」という意味です。島根大学PiES研究会は、「教育と社会の中で活きる哲学」のあり方を探求するための研究会で、一般社会を対象にした哲学カフェの他、教育現場で、児童・生徒を対象とした哲学対話を実践していく予定です。

 さて、本題の一月の「晤語の哲学」のご案内です。以下の要領で実施します。

日時:1月23日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「無駄って何?」
参加費:無料
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 今回のテーマは「無駄」です。ひとくちに「無駄」と言っても、いろいろな「無駄」があります。時間の無駄、無駄遣い、無駄口、無駄死に、無駄話、無駄足、無駄金、無駄骨、無駄な努力などなど。私たちの生活のいろいろな場面に「無駄」があるようです。しかし、いっぽうで、「世の中に無駄などない、どんなものでも何かの訳に立つはずだ」という考え方もあるでしょう。確かにそうかもしれません。一見、「無駄」のように思えても、実は、目に見えない有効性を持つこともあるでしょう。それを「合理化」という名目で切り捨ててしまうのは残念なように思えます。しかし、たとえそうだとしても、「無駄」という言葉があるかぎり、やはり、それは何かを指しているはずです。では、この言葉は何を指しているのでしょうか。「無駄」という言葉は、しばしばマイナスのイメージを与えます。しかし、「無駄」はいつでもマイナスのことしか意味しないのでしょうか。むしろ、「無駄」がプラスに働くこともあるように思えます。例えば、「無駄」があるからこそ、余裕が生まれ、新たな創造力が湧いてくる、など。無駄な時間一つない、分刻みの多忙な生活に豊かな創造性は望めないようにも思えます。でも、そうすると、「無駄な時間」というのは、いっけん「無駄」に見えても、実は「無駄」ではなく創造性に貢献していることになるでしょう。となると、結局は、最初に戻って、「実は無駄など一つもない」ということになるのでしょうか。さてはて、迷路にはまり込んでしまったようです。この迷路から抜け出せるのでしょうか。

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