ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2013年7月6日土曜日

七月の「晤語の哲学」のご案内

 七月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:7月20日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「悪友って必要?
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 今回のテーマは「悪友って必要?」です。誰にでも「悪友」はいるでしょうし、あなたも誰かにとっての「悪友」なのかもしれませんが、考えてみると、「悪友」って、「友達」なのに、「悪い奴」なのであって、私たちにとって「良いもの」なのか、「悪いもの」なのか、良く分かりません。そこで「悪友って必要なのか?」という問いを立ててみました。しかし、まず「悪友」という言葉の意味が曖昧です。「悪い友達」というのは、本当に「友達」と言えるのでしょうか? 私にとって悪い影響を与える人は、そもそも「友達」とは言えないのではないでしょうか? はたして「悪友」とは何を意味しているのでしょうか? また、「悪友」が何らかの意味を持つとして、それは、私たちにとって必要な存在なのでしょうか。ただ悪影響しか与えないなら、必要ないとも言えるかもしれませんが、「悪友」が私にとって良いもの、必要なものなら、その人は、そもそも「悪友」ではないようにも思えます。この問題は、「友達」とは何か、「必要」とは何か、という問題とも結びつきますし、さらには、「悪」とは何か、「悪」とは私たちにとって必要なのか、というより大きな問題にも繋がってきそうです。今回は「悪友」について二時間じっくりと考えてみましょう。

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