ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2013年12月3日火曜日

十二月の「晤語の哲学」のご案内

 十二月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:12月14日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「教養って何?」
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 今回のテーマは「教養」です。これもまた捉えどころのない言葉ですし、また、最近はあまり重視されなくなってきている言葉のようにも思えます。「教養」に対立するものとしてしばしば用いられるのが「専門」です。しかし、「専門教育」というのは比較的分かりやすいとしても、「教養教育」とは何を教育することなのでしょうか? また、「教養」というのは、教えられるばかりでなく、その人自身の知識、経験、生き方などから「にじみ出てくる」何かであるような気もします。例えば、「教養の深さ」などというように、教養は「深さ」を測ることのできるものなのでしょうから、何か奥行きを持ったものであるように思えます。では、この「奥行き」とは何なのでしょうか。さらに、「教養のある・ない」が、人物の評価にもつながってきますし、教育や生き方のうえで、教養をいかに育むか、あるいは、いかに教養を積むか、という問題も検討の対象になるでしょう。しかし、その反面、現代社会では、かつてほど「教養」が尊重されていないようにも思えます。教養が尊重される時代と尊重されない時代とは、いったい何が異なるのでしょうか。難しいテーマかもしれませんが、絡んだ糸を一本々々解くように、じっくり腰を据えて考えてみましょう。