ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2013年6月5日水曜日

六月の「晤語の哲学」のご案内


 六月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:6月22日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「〈同じ〉って何?
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 今回のテーマは「〈同じ〉って何?」です。しばしば「この世には一つとして同じ木の葉はない」などと言われます。確かにそのとおりでしょう。木の葉だけでなく、石でも、蟻でも、ダンゴムシでも同じことです。では、この世に「同じ」ものがないならば、「同じ」という言葉は何を意味しているのでしょうか。「同じ」とは、ただ単に「同じものなどない」という否定的な意味しか持たないのでしょうか。それとも、何か実体として存在している「同じもの」を積極的に名指しているのでしょうか。もし、何か「同じもの」があるのなら、それは何でしょう。一つの木の葉を他の木の葉と比べるのでなく、それだけで取り上げてみれば、この木の葉は今日も明日も「同じ」木の葉だと言えるでしょうか。でも、時間や場所が違えば、それはやはり別の木の葉と言わなければならないかもしれません。それでは、個々の木の葉、個々のダンゴムシはみんな違っても、木の葉の「数」とダンゴムシの「数」は「同じ」だと言えるでしょうか。でも、この場合も、木の葉を数える人とダンゴムシを数える人が違ったら、それはやはり同じとは言えなくなりそうです。それなら、「同じ」私が数えればいいのでしょうか。でも、「私」にとってしか「同じ」でない「同じ」に何か意味があるとは思えません。いやいや、そもそも、私はいつも「同じ私」だと言えるのでしょうか。さあ、わけが分からなくなってきました。この続きは、哲学カフェで・・・。

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