ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2018年10月30日火曜日

11月の哲学カフェのご案内

 11月の哲学カフェ「晤語の哲学」のご案内です。
 以下の要領で行いますので、参加ご希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームから申し込みをお願いします。

日時:11月10日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
   (以下のキャンパスマップをご参照ください。
    https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)
テーマ:「〈嘘をつく〉ってどういうこと?」
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教授)

 次回は「嘘をつく」という「行為」の人間的・社会的意味を考えてみたいと思っています。が、そもそも、「嘘」と「本当」を分ける境界線も必ずしも明確であるとはかぎりません。となると、事態はかなり複雑になりそうです。いつもながら、単純そうに見えて、けっこうややこしそうです。

2018年10月14日日曜日

10月の「晤語の哲学」のご報告

 今回は、参加者9人、主催者2人の11人での開催でした。初参加の方も3名おられました。
 さて、今回のテーマは「思い出って何?」。ファシリテータの独断も交えながら、どんな議論が交わされたのか、ちょっと紹介しましょう。
 まずは、思い出を肯定するような意見が多く出されました。思い出が「自分を構成している」、思い出は「希望」につながる、思い出が「自分への自信のベース(こやし)」になる、など。これは、思い出という過去を、現在や未来への展望を含むもの、自己の土台になるものとしてイメージした意見だと言えるでしょう。このように考える人は、「苦い思い出」も、それが思い出として残っている以上、自分にとって「良い面」を含んでいるに違いないと考えているようでした。
 他方、思い出に対する「否定的な」意見もありました。それは、思い出に繋がるような物を捨ててしまいたいタイプの人、なにか人生の転機のおりに、思い出にしがみつかず、過去の物を捨ててしまって、自分を変え、身軽になることに価値を見出すタイプの人です。こういう人は、過去との連続性、過去からの惰性のうちに「自分」を見るのではなく、「自分」を積極的・主体的に作りあげていこうとするタイプの人かもしれません。
 もちろん、後者のタイプの人も、思い出を全否定するわけではなく、むしろ、自分を新たに作るために「乗り越えるべきもの」として思い出を前提しているのですから、その意味では、「思い出の上にこそ自分がある」と考える点で、前者と変わらないのかもしれません。
 その他、次のような意見・疑問も出されました。思い出について考えるには、「忘れる」ことの意味を考える必要があるのでは。思い出ははかなく、忘れてしまいがち、でも、しばしば品物(遺品や写真)がトリガーになって、忘れていた思い出が蘇るときがある。では、「はかない思い出」(心の中にしかないもの)と「物」(現実にあるもの)との関係はどうなっているのだろうか。思い出は、共有されて、人と人を繋ぐことがある。では、思い出の共有を通した他者との関係ってどんなものだろう。よく「思い出作り」って言うけど、そもそも「思い出」って意図的に「作れる」ものなの。思い出は記憶と何が違うんだろう。などなど・・・。
 「思い出」って、ある意味では「実に単純なこと」で、とても「身近なもの」ですが、だからこそかえって今回のテーマは難しかったように思います。これこそまさに、哲学がテーマとする「近すぎて見えないもの」なのでしょう。

 さて、すでにお知らせしている通り、次回は11月10日(土)、14時〜16時です。テーマが決まりましたら、またご案内します。なお、次回以降のテーマの希望も募集しています。テーマの希望は「参加申込・問い合せ」フォームからお願いします。