哲学カフェ「晤語の哲学」の次回の開催日を決定しましたのでお知らせします。
次回は、12月14日(土) 14時〜16時 に開催します。
場所は、いつもと同じ、島根大学松江キャンパスの学生市民交流ハウスFLATです。
テーマについては決定次第、このブログにて告知いたします。
なお、松江で開催できる哲学カフェ「晤語の哲学」は、おそらく、次回を含めて、あと二回になりそうです。
次々回は、来年2月か3月を予定しており、おそらく、それが松江での最終回になると思います。
残り少なくなってきましたが、とにかく、参加してくださるみなさんと、楽しく、充実した時間を過ごせたらと思っています。
次回の「晤語の哲学」に参加希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームからお申し込みください。
島根大学・神戸女学院大学の川瀬雅也と心身教育研究所の土江正司の共催で行っている哲学カフェ「晤語(ごご)の哲学」のご紹介です。
哲学カフェとは、ふだん話題にすることはないけれど、人生、社会、人間にとって本質的な問題(例えば、「生きがいって何?」「言葉って何?」など)について、ゆっくりとお茶を飲みながら、参加者みんなでアレコレと話しあい、考え、悩んでみるという企画です。ただし、本質的な問題ですから答えは出ません。むしろ、対話を通してとことん問いを深め、じっくり考えることがねらいです。
開催は原則月一回、土曜または日曜の午後、場所は島根大学学生市民交流ハウス FLAT(島根大学松江キャンパス正門進んで左手)です。
参加申込、問い合せは、下の「参加申込/問い合せ」フォームを利用し、名前、メールアドレスとともに送信してください。なお、参加費は不要です。
ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。
2019年10月31日木曜日
2019年10月7日月曜日
10月の晤語の哲学のご報告
今回は、主催者2人を含めて、9名の参加者でしたが、うち2名ははじめて参加の方でした。
では、今回も対話の一端をご紹介しましょう。今回のテーマは「〈愛する/愛される〉ってどういうこと?」でした。まず、二つの意見が出されました。一つは、〈愛する/愛される〉を喜びやうれしさを伴う好ましい人間関係だとする意見、もう一つは、愛は非常に幅広い対象(恋人、家族、所属先、祖国、文化など)に関わるが、しかし、その中心にあるのは常に「自分」であり、その意味では、「愛」とは常に「自己愛」なのでは、とする意見です。しかし、ただちに、対立する意見が出されます。個人的な体験から、相手に対する尊重に基づかない、自分勝手な愛は、むしろ、相手に負担をかけるものだと主張され(愛は好ましいものばかりではないとする意見)、むしろ、愛は相手への肯定/尊重を含まなければいけない(愛は自己愛であってはならない)とする意見です。そして、これに同調するかたちで、愛の反対は「無関心」であるとする説が紹介されると、これをきっかけに、対話はより深い方向へと進み始めました。
ある参加者は、「愛する」ことを「愛を与える」ことと考えると、「与えた」のだから見返りを欲しいと考えてしまうが、本当の「愛する」とはそれとは違って、むしろ、相手に関心を持ち、相手を知りたいと思うことなのではないかと話してくれました。相手に感心をもつのは、「自己」というものがいつも欠如をかかえているからかもしれません。人は、しばしば、その欠如を他人からの愛、承認、見返り等で埋めようとします。しかし、大事なのは、欠けている自分を自分で受け入れ、愛してあげることなのかもしれません。ある参加者はこれを「健全な自己愛」と呼びました。欠けている自分を愛することで、欠如を無理矢理、形ばかりの「愛」で埋めようとせず、乾きを癒やそうとするように自然と他者を求める自分を肯定でき、見返りを考えることなく、素直に他者を愛せるのかもしれません。また、そのようにして、同時に、他者からの愛も自然に受け入れられるのかもしれません。こう考えると、「健全な自己愛」「他者を愛する」「他者から愛される」がすべて一つのこととしてつながってきます。おおよそ、こんな対話が展開されました。
「愛」というとても抽象的で、多様な側面をもつテーマだっただけに、それぞれの参加者の考えがかみ合わず、空中分解するのでは、と心配でしたが、結果的には、非常に充実した対話が展開され、主催者としても大満足の二時間でした。
登録:
投稿 (Atom)