ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2014年3月2日日曜日

三月の「晤語の哲学」のご案内

 三月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:3月15日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「幸福って何?」
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 2005年から、途中、中断はあったものの、8年半に亘って佐世保や長崎で哲学カフェを開催してきましたが、4月より、主催者が島根大学に転任することになり、佐世保での哲学カフェは今回が最後となりました。
 佐世保や長崎での開催に際して、これまで多くの方にご参加いただきました。本当にありがとうございました。参加いただいた方々に「何か残す」ことができたのか、心もとないかぎりですが、少なくとも、少しは「哲学」を身近に感じてもらい、また、哲学的な観点から考えることの楽しさ、そして、意見を交わすことの楽しさを味わってもらえたのではないかと思っています。
 私が、参加いただいたみなさんに残せたものはわずかですが、私の方は、この哲学カフェから本当に大きな財産をもらいました。私にとって、哲学カフェは、哲学や哲学的思考を、いかに社会化し、日常化するかという試みだったのですが、8年半に亘るその実践は、今後、哲学を研究し、教育していく際に、そして、私の人生そのものにとっても、多いに役立つことだろうと思います。佐世保や長崎での経験を糧にして、今後も、こうした取り組みを続けていきたいと考えています。
 さて、佐世保での最後の「晤後の哲学」のテーマは「幸福って何?」です。古代ギリシア以来問われ続けいているこのテーマは、人間にとっての永遠のテーマだと言えるかもしれません。それぞれの人がみな、〈自分の幸福〉を追求しているわけですが、いったい、〈人間にとっての幸福〉とは何なのでしょうか。そして、「幸福」を手に入れるには、どう行動し、どう生きたらいいのでしょうか。哲学カフェは、やはり最後の最後まで、「答えのない問い」を繰り返します。問いは開かれまま終わることになるでしょうが、しかし、この〈人間性に関わる普遍的な問い〉への答えは、実は、〈みなさん一人一人の人生〉のうちにあるような気もします。




2014年2月3日月曜日

二月の「晤語の哲学」のご案内

 二月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:2月15日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「〈あいまいさ〉の功罪」
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 今回のテーマは「あいまいさ」です。今回はテーマ設定の背景をあえてご説明しましょう。昨年11月、60歳の男性が、出生直後に別の新生児と取り違えられていたことが、DNA鑑定の結果、明らかになりました。もちろん、それは〈正しい〉親子・兄弟関係が分かったわけですから、良いことなのかもしれませんが、では、60年間続いた「育ての親と子の関係」は〈正しくない〉親子関係だというのでしょうか? DNA鑑定に持ち込まれた理由がどうあれ、60年間の親子関係にも、その重さ、その〈正しさ〉があるような気がしてなりません。
 近年の科学技術の発達によって、かつては〈あいまい〉でしかなったことが、〈白黒はっきり〉と決着がつくようになっています。確かに、〈あいまい〉は良くない面があるかもしれませんが、かといって、〈白黒はっきりさせる〉ことがいつもいいことなのでしょうか?
 科学技術の問題に限らず、私たちは普段、様々な〈あいまいさ〉の中で生きています。特に〈あいまいさ〉は日本文化の特徴のように語られることもあります。しかし、その一方で、現代のように、多様な利害が錯綜しあうなかでは、紛争や対立を避けるためにも、可能なかぎり〈あいまいさ〉を取り除こうとする動きも顕著です。こうした状況の中で、私たちは、〈あいまいさ〉というものとどう付きあうべきなのでしょうか。〈あいまいさ〉の功罪を考えることを通して、社会の中で生きることの意味を考えてみたいと思います。

2014年1月7日火曜日

一月の「晤語の哲学」のご案内

 明けましておめでとうございます。本年も「晤語の哲学」をどうぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、一月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:1月18日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「ファッションって何?」
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 今回のテーマは「ファッション」です。といっても、「晤語の哲学」ですから、「今年は何が流行るか」という話ではなく、なぜ人はファッションにこだわるのか、ファッションは何をめざしているのか、体を飾ることに何の意味があるのか、など、ファッションの哲学的な本質の解明をめざしたいと思います。
 ファッションというのは言わば「余計なもの」です。寒さなどから身を守るために服を纏うのは自然なのことですが、ファッションには「それ以上」の意味があるように思えます。この「余計なもの」「それ以上」とは何でしょうか。そして、人はなぜ、この「余計なもの」「それ以上」にこれほどまでにこだわるのでしょうか? 自己顕示欲でしょうか? しかし、ユニフォームのように同じファッションを身に纏っている状況の中では「自己顕示欲」は満たされません。伝統的には、ファッションのなかにも、社会的な立場や役割等を周りに示すという実用的な意味合いがあったかもしれません。しかし、ファッションはしばしば、そうした実用性を超える「遊び心」から発達してきたように思います。また、人々の中にも、とりわけファッションにこだわる人とそうでない人がいますが、その違いは何でしょうか? ファッションを通して、私たちが社会のなかで生きる意味にまでも考えを広げていければいいと思います。