ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2019年1月14日月曜日

1月の「晤語の哲学」のご報告

 今回のテーマは「まじめって何?」 参加者11名、主催者2名の13名で、二時間にわたり対話を行いました。今回も、その一部を紹介しましょう。
 まず、「まじめ(真面目)」という言葉が、本来、「真剣な態度」というポジティブな意味であるのに、ひとに「まじめだね」と言われると嫌な思いをするなど、しばしばネガティブに理解されてしまうという点に着目しました。どうやら、「まじめ」には辞書的な意味と日常的な意味の二つがあるようです。
 「まじめ」の日常的な意味は「融通がきかない」「おもしろみがない」「きまじめ」といった意味でしょうが、では、どうして辞書的にはポジティブな意味である「まじめ」が、ネガティブに理解されてしまうのでしょうか。
 対話では、外国語との比較から、もしかしたら、これは日本文化の特徴なのではないか推測してみました。日本文化には個人よりも集団を重視する傾向があります。そうした中で、「まじめ」の意味が、「ある個人がどれだけ真剣な態度か」ではなく、「いかに集団のルールや形式を守っているか」に転じてきたのかもしれません。日本社会では、「自分にとってどういう意義があるか」ではなく、「ルールだから、周りに合わせなければならないから」という理由でなされる行為が「まじめ」な行為だとして評価される傾向にあるのではなかいか、と考えてみました。
 参加者の多くが、こうした「日本的まじめ」に対してはあまり良いこととは感じていないようで、「誰に対するまじめなのか」ということをよく考えるべきだとの意見が出ました。
 もし、辞書的な意味でのまじめ(真剣な態度)を「自己の要求に対するまじめ」と理解するなら、日本的まじめは「社会や集団の要求に対するまじめ」だと言えるかもしれません。日本社会には、統一性、協調性を要求する傾向があり、そうした社会の要求に応える態度が「まじめ」だと評価されるのであって、日本的まじめは、「自分に対するまじめ」ではなく、「社会に対するまじめ」だと言えるでしょう。
 しかし、最初に話題になったように、私たちはしばしば、「(日本的な意味で)まじめだね」と言われると嫌な気持ちになります。これは、私たちのうちに、統一性、協調性を要求する社会の傾向に対する抵抗感があるからなのかもしれません。「自分は全体のうちに埋没したくない」「自分の個性を発揮したい」という欲求が、「(日本的な意味で)まじめだね」と言われることに対する嫌悪感として現れてきている、そんなふうに考えることもできるでしょう。
 対話では、これ以外にも、「まじめ」をめぐっていろいろな意見、考えが出されました。「まじめ」の意味なんて、誰でも知っている当たり前のことだけど、こうして改めてじっくり考えてみると、思いもよらなかった「まじめ」の多様な側面に気づかされるものです。

2019年1月10日木曜日

2月の日程について

哲学カフェ「晤語の哲学」の2月の日程が決まりましたのでご連絡します。
 
 2月16日(土) 14時〜16時

場所は、いつものように、島根大学松江キャンパス 学生市民交流ハウスFLAT です。

なお、1月の晤語の哲学は次の日曜日、13日です。
参加希望の方は、右のフォームから申し込みをお願いします。

2019年1月7日月曜日

1月の哲学カフェのご案内

明けましておめでとうございます。
本年も哲学カフェ「晤語の哲学」をよろしくお願いいたします。

さて、1月の「晤語の哲学」のご案内です。
 以下の要領で行いますので、参加ご希望の方は、右の「参加申込/問い合せ」フォームから申し込みをお願いします。

日時:1月13日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
   (以下のキャンパスマップをご参照ください。
    https://www.shimane-u.ac.jp/campus_maps/map_matsue.html)
テーマ:「まじめって何?」
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教授)