ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2016年9月29日木曜日

10月の哲学カフェ「晤語の哲学」のご案内

 次回の哲学カフェ「晤語の哲学」についてご案内いたします。

 なお、毎回、初めて参加の方も数名ずつ来られています。ご興味をお持ちの方は、ぜひ一度「試し」に参加してみてください。

 また、左の「メールで更新内容を受けとる」にメールアドレスを入れたけど、更新内容が送られて来ないという方、アドレス送信後に送られてくるメールのリンクをクリックすることで、初めてアドレスが登録されますので、そこまでの手続きをお願いいたします。

 では、次回の案内です。

日時:10月15日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「ふるさとって何?」
参加費:無料
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp
 

テーマについて:
 「ふるさと」って何でしょう。「ふるさと」は「古里」「故郷」「古郷」などの漢字で表されますが、いずれも「自分が生まれた土地」「自分の出身地」、あるいは「自分が帰るべき場所」などという意味を持つ言葉でしょう。しかし同時に、「心のふるさと」などということもよく言います。これは必ずしも自分の出身地でなくても、心理的な面で自分の原点になったり、何か懐かしさや安心感を感じさせてくれる場所について使われるように思います。
 「ふるさと」の単なる語義ではなくて、「人間的意味」について考えようとするならば、「心のふるさと」などといわれる場合の「ふるさと」の意味を考えることが有効かもしれません。上で「懐かしさ」「安心感」などと書きましたが、「ふるさと」というのは、しばしば、これらの心理的状態に密接に結びついているように思います。他にも「ぬくもり」「優しさ」「親しみ」などの言葉が連想されるでしょう。「ふるさと」とは、誰をも無条件で受け入れ、抱きしめ、慈しみ、なぐさめ、迎え入れてくれる場所なのでしょう。
 「ふるさと」がしばしば、象徴的な意味での「母」(「実際の母」ではなくて)を連想させるのも、上のような「ふるさと」のイメージに由来するように思います。象徴的な意味での「母」は、さらに「祖父母」に、そして、先祖に結びつき、最終的には、「自分という存在の起源・根拠」のようなものにまで連なっているのでしょう。「ふるさと」というのは、少し大げさに、そして抽象的に言うと、「私という存在がよって立つ大地」なのかもしれません。
 今、「地方創生」が叫ばれています。が、その前に、「人間が生きること」にとっての「ふるさと」の意味を改めて考え直してみるのもいいかもしれません。

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