ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2016年6月4日土曜日

6月のテーマ決定!

 次回の哲学カフェ「晤語の哲学」のテーマを決定しました。日時も含めて、改めて詳細をお知らせいたします。

日時:6月19日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「〈感情を言葉にする〉ってどういうことか?」
参加費:無料
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp


テーマについて:
 ある一定の年齢以上の、しかも、特に男性にとっては、愛情を言葉で語ることほど「ばつの悪い」ものはないでしょう。男は「言わなくても分かってるだろ」と腹の底で思い、女は「いいえ、言ってくれなきゃ分からないわ」と腹を立ててみせる、なんていうのはよくあるステレオタイプです。でも、このとき、女は(もちろん、じっさいは女だけとはかぎらないのですが)いったい何を望んでいるのでしょうか。女は、本当に、〈言葉にしなければ感情を理解できない〉というわけではないでしょう。男の愛情はよく分かってるけど、それでも言葉が欲しいのです。いったい感情だけでは、何が足りないというのでしょうか。
 一方、「言葉では言いあらわせない感情」などということもよく言います。あまりにも悲惨な事件や出来事について感想を求められた人が、マイクに向かって、「なんて言ったらいいのか、言葉がありません」とうつむく姿をよく目にします。この人にとっては、感情の激しさに言葉がついていかないのでしょう。感情の激流を言葉という狭い水路に導くことなどおよそできないのです。感情というものは、大きければ大きいほど、言葉のうちには納まりきらないものなのでしょう。
 しかし、それならば、「女」が「男」に〈愛情を言葉にしろ〉などと言うのは矛盾した話ではないでしょうか。愛が深ければ深いほど、それは言葉という小さな枠組みにはとても納まりきらないのですから。でも、おそらく、女だってバカではありませんから(いや、しばしば男より女の方が「賢い」ですから)、深い愛情が言葉をあふれ出ることぐらい知っているでしょう。それでもなお女は「言葉」を欲しがるのです。
 さてはて、いったい〈感情を言葉にする〉ってどういうことなのでしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿